疑問点の整理

放牛上人と放牛石仏について調査を進めていくと、いくつもの疑問点が生じてきます。そこで、私が分からないことや疑問に感じることを公開することで、皆様方の意見を求めたいと思います。よろしくお願いします。

 

01  同じ番号の石仏が、数体あります。その理由は何でしょうか。第8体、第30体、第40体がそれぞれ二体ずつあります。

02  番号がついていない石仏が、数体あります。その理由は何でしょうか。無番号石仏は、全部で八体あります。

03  数体の石仏に混合仏があります。その理由は何でしょうか。また、先人が混合仏であると判断した根拠は何でしょうか。

・ 第30体A(釈迦仏と刻銘・阿弥陀如来の印相)
・ 第33体(頭は観音菩薩・首から下は阿弥陀如来)
・ 第59体(観音菩薩と阿弥陀如来)
・ 第86体(釈迦仏と刻銘・阿弥陀如来の印相)
・ 第92体(地蔵菩薩と観音菩薩)
・ 第96体(観音菩薩と阿弥陀如来)
・ 第102体(観音菩薩と阿弥陀如来)

04  他力・佗力・侘力・多力と数種類の文字が使用されています。その理由は何でしょうか。

・ 佗力 〜 第8体A  第9体  第14体  第36体  第72体
・ 侘力 〜 第64体
・ 多力 〜 第21体  第24体

05  未発見の石仏九体は、これから先発見されるのでしょうか。

・ 未発見石仏〜 第4体・第11体・第12体・第28体・第37体・第52体・第55体・第61体・第101体

06  熊本市春日3丁目のお堂には、放牛石仏が六体もあります。その理由は何でしょうか。

07  放牛はどこのお寺で修行したのでしょうか。また学んだ宗派は何だったのでしょうか。

08  放牛が石仏を建立した願意は、父親を弔うためだったのでしょうか。

09  享保17年(1732)の秋に、放牛は他界しました。その理由は何でしょうか。

 

放牛石仏に興味のある皆様は、どのように考えますか。皆様のご意見をお待ちします。トップページに、メールアドレスがありますので、クリックしてください。