放牛上人の墓

放牛上人の墓に参りました。熊本市横手の新四方池橋を渡り、20m程先の右手に階段があります。「放牛上人の(墓)」と書かれた標識があります。ここを登りますと狭い路地がありますので、さらに100mまっすぐ進んでください。つきあたりが墓地になっています。その中央に「僧・放牛の墓」があります。

          

ここは、警察本部の道場裏になります。横手町と島崎町には多くの放牛地蔵が残されています。お参りする方も多いようです。1722年から11年間で118体の石仏を建立した放牛は、ここで安らかに眠っています。お墓もやはり、地蔵でした。

台石の正面には、「享保十七壬子天」「石仏百七体施主」「釈放牛墓」「十一月八日」「横手村中建之」の文字が見えます。左手に念珠、右手に錫杖を持っています。

    

 

放牛上人は、享保17年(1732)の11月8日に亡くなりました。誕生日が不明ですから、何歳まで生きていたのかもわかりません。享保17年には8体の石仏を建立しています。最後まで民衆のために力をふりしぼったことでしょう。

地蔵
過去・現在・未来にわたって六道の衆生救済を悲願とする地蔵菩薩は、サイの河原で地獄の鬼から子どもを守ると考えられています。それで、地蔵は子どもの守護尊としてあがめられています。