推理・放牛上人の願意

 

疑問  放牛が石仏を建立した願意は、父親を弔うためだったのでしょうか。

放牛上人の願いは何だったのか、どのような気持ちで石仏を建立したのかを考えてみます。次の文は、第百体に刻まれた文字です。この32文字の中に、放牛上人の気持ちが表れていることと思います。

 

天下和順   日月清明   風雨以時   災歯s起

国豊民安   兵才無用   崇徳興仁   務修礼譲

石仏第100体に刻まれた文字は、浄土三部経の中の無量寿経の一部になります。天下和順(てんげわじゅん)とは、天下泰平の世の中を意味します。日月清明(にちげつしょうみょう)とは、季節ごとの天候が安定していて、異変が起きないことを意味します。

この世の中は、争いや災害のない天下泰平の世の中であってほしい。風や雨は季節にあったもので、暴風雨や台風、そして旱魃などない事を祈りたい。そうすれば天災も人災も起こることはない。国は豊かに栄え、人々は安心して暮らすことができるだろう。兵や軍隊は必要がないし、戦争はあってはならない。それよりも徳を高め、愛情を持って人に接するべきである。できるだけ礼儀をつくして謙虚な態度で過ごしなさい。

このような解釈でいいのでしょうか。放牛上人の石仏建立をして願ったことは、この経典の中に表れているようです。第100体は、放牛上人の大願成就の石仏です。第100体までにいろんなことを考えながら、ここに至ったことと思います。この石仏は、前年の第99体と平行して計画を練り、準備を進めたはずです。石仏の完成は、2月か3月ころに完成したと思われます。放牛上人の気持ちを表現すれば、次のようになるかと思います。

天下泰平の中で、放牛上人は民衆の幸せを願いました。僧として、自分自身の体験を語り、心の悩みや死の恐怖を取り除き、民衆に精神面の安定を求めたものと思われます。

しかし皮肉なことに、放牛上人が日月清明を期待したにもかかわらず、5月の大洪水を始めとして天災が続きます。