混合仏の考察

放牛石仏のいくつかに、混合仏があります。混合仏であると判断した根拠は何かを考察しました。また、混合仏になった理由も述べてみました。

第30体A(釈迦仏と阿弥陀如来の混合仏)

この石仏には、光背に「釈迦佛」と刻まれています。ですから、頭は釈迦如来特有の螺髪(らほつ〜髪の毛が丸くなってたくさんついているもの)になっています。その一方で、両手の印相(いんぞう)は、阿弥陀如来の「上品中生」になっています。上品中生とは、両手をへその下に置き、親指と中指で輪をつくる形です。そこで、首から上は釈迦如来であり、首から下は阿弥陀如来となります。二つの特徴を持っているため、混合仏と呼ばれています。

第33体(観音菩薩と阿弥陀如来の混合仏)

頭に石冠を載せています。釈迦如来や阿弥陀如来は悟りを開いた仏ですから、装身具はいっさい身に着けません。一方菩薩は修行中の身ですから、在家の貴人のように装身具(宝冠など)を身に着けます。そこで石冠(宝冠)を載せているので観音菩薩ですが、両手の印相(いんぞう)は、阿弥陀如来の「上品中生」になっています。そこで、首から上は観音菩薩であり、首から下は阿弥陀如来となります。この石仏も、二つの特徴を持っていることになります。

第59体(観音菩薩と阿弥陀如来の混合仏)

頭の上は、宝冠ではありません。よく見ると、人の顔のようです。これは、争いの心を静める十一面観音菩薩です。しかし、お腹の前の印相は、阿弥陀如来特有の「上品中生」になっています。そこで、首から上は十一面観音菩薩、首から下は阿弥陀如来の混合仏となります。金属や木材で作る仏像であれば、はっきりした十一面になるかと思います。しかし、石仏のため細かな細工はできないようです。

第86体(釈迦仏と阿弥陀如来の混合仏)

第30体Aと全く同じ理由です。光背に「釈迦佛」と刻まれて、しかも頭髪は、螺髪(らほつ)です。一方で、両手の印相(いんぞう)は、阿弥陀如来特有の「上品中生」になっています。そこで、首から上は釈迦如来、首から下は阿弥陀如来の混合仏となります。

第92体(観音菩薩と地蔵菩薩の混合仏)

頭に観音菩薩の特徴である石冠(宝冠)を載せています。しかし、右手には未敷蓮華を持ち、左手には宝珠を持っています。放牛石仏で宝珠を持っているのは、ほとんどが地蔵菩薩です。そこで、首から上は観音菩薩、首から下は地蔵菩薩の混合仏となります。

第96体(観音菩薩と阿弥陀如来の混合仏)

この石仏が混合仏となっている理由は、第33体と同じです。頭に石冠を載せていることと、印相が阿弥陀如来の「上品中生」になっています。そこで、首から上は観音菩薩であり、首から下は阿弥陀如来となります。そのような理由で、混合仏となります。

第102体(観音菩薩と阿弥陀如来の混合仏)

この石仏が混合仏となっている理由は、第33体や第96体と同じです。頭に石冠を載せていることと、印相が阿弥陀如来の上品中生になっています。そこで、首から上は観音菩薩であり、首から下は阿弥陀如来となります。そのような理由で、混合仏となります。

 

混合仏になった理由

私にとって数年間わからなかったことが何とか理解でき、安心しています。これらの根拠は、釈迦と阿弥陀の印相の違いや頭の特徴から理解できました。しかし、石仏の中には、指が折れているのもあります。また、文献の中に、施無畏印・与願印の阿弥陀像が紹介してあり、やや混乱しています。それらは、鎌倉時代に盛んに造られたようです。また蓮華を持つ仏像には、観音菩薩が多いとも記されています。

さて、混合仏ができてしまった理由ですが、私はつぎのように考えました。放牛上人が依頼した石工に、仏像に関する正しい知識がなかったのではないでしょうか。釈迦如来も阿弥陀如来もご本尊ですから、お寺の中にあったはずです。しかも江戸時代のことですから、毎日仏像の前で拝んだり、すぐそばに寄って観察することはできなかったはずです。私と同じように、仏像の知識がないために混乱が起きて、混合仏が造られたと思います。
放牛は石仏を依頼するとき、このような仏像にしてほしいと、紙に書いて渡したのかどうかはわかりません。それと同時に製作途中の石工を指導したとも思えません。広範囲にわたり、しかも数も多いからです。もし口頭で伝えたのなら、もっと混乱が起こっていたはずです。ところで地蔵菩薩には、ほとんど混乱がありません。以前から道端にあって、だれもが参拝していたのかもしれません。