阿蘇・首なし地蔵

私がホームページで検索した地蔵を、平成16年10月3日(日)に見学しました。愛車FJR1300にまたがり、阿蘇に向かいました。地蔵というのは、南小国町黒川温泉にある「首なし地蔵」です。12時前には自宅(熊本市)を出発し、阿蘇町から一の宮町に入り、別府阿蘇道路を北上しました。途中に南小国への案内板がありましたので、左折しました。詳しい地図がなかったため、満願寺方面へ行ってしまったのです。急いで引き返し、国道442号から黒川温泉へ到着したのです。

黒川温泉の駐車場も、温泉客が多く満杯状態です。やっとの思いで、町の駐車場にバイクを止めて、徒歩で目的の場所へ向かいました。上の右側写真は、首なし地蔵を安置した堂の様子です。何かぶら下げてあるのは入湯手形であり、神社の絵馬のような印象を持ちました。ここは黒川温泉の中央になり、川端通りに面しています。階段が10段ほどある高台に位置し、左手は「いご坂」と呼ばれる坂になります。

さて、地蔵堂入口の石垣に、首なし地蔵の由来が書かれていました。皆様にご紹介します。

地蔵堂の由来

むかしむかし豊後の国の中津留というところに、貧しい塩売りの甚吉とその父が住んでおった。父は病気で甘瓜だけしか食べれんじゃった。しかしお金はなし、悪い事とはわかっていたが、甚吉は瓜を盗もうと思ったそうな。
ある日お地蔵様に、自分の商売にしている塩をほんのすこしおそなえして、父の病気が早く良くなる事を願い瓜を盗みにいくことを告げたんじゃ。覚悟を決めて瓜畑に入るやいなや地主にすぱっと首をはねられてしもうた。しかし、そこには身代わりになったお地蔵様の首が落ちてたんじゃ。
そんなある日、肥後細川藩の修行者本田藤十郎というものが、肥後の国にこのお地蔵様をもち帰ろうとして旅のとちゅう黒川で一休みしていたら「ここに安置してくれ」としゃべりなさったそうな。村人はお地蔵様の首をまつり、大切に守りつづけたそうな。するとある日この地より温泉がわきでるようになったとさ。

靴を脱いで堂内に入りました。正面にはかなり大きな、等身大の地蔵が安置されています。足元にも地蔵がいくつもあります。一体どれが「首なし地蔵」かなと思ったのですが、仏壇のように飾ってある首だけの地蔵が、首なし地蔵のようです。最初は首なしと紹介してありましたので、胴体だけかと思ったのです。

ホームページで検索した資料(南小国町観光協会HP)は持参していましたので、いご坂地獄へ向かいました。地蔵堂からいご坂を登れば、目の前にいご坂地獄があります。ここは温泉が湧き出る場所で、地域のシンボル的場所でしょう。

左の写真が、いご坂地獄の温泉です。ここには可愛いお地蔵さんがありました。高さ50cmほどで、右手にシャモジ、左手に茶碗を持っています。資料によりますと、「田の神様」と呼ばれる五穀豊穣の神様になります。いご坂の途中にも一体見かけました。