幻の第61体地蔵

平成15年12月14日(日)の夕方のことです。愛犬チェリーを連れて、近所に散歩に出かけました。いつもと違うコースを行こうと思い、以前住んでいたアパートの前を通りました。地蔵二体が祀ってあるので、何気なくのぞきました。よく見ると「享保十四年八月吉日」と彫られています。もしかしたらと思いつつ、自宅へ帰って資料を調べました。

熊本県に伝わる放牛石仏は、無番号石仏の8体を除いて、番号は107体まで分かっています。しかし、確認されていない石仏が、現在9体存在するのです。その発見されていない石仏の番号は、次の通りです。

第4体・第11体・第12体・第28体・第37体・第52体・第55体・第61体・第101体

これまで発見された放牛石仏には、光背(仏像の背中から発する光をかたどった物)や台石に、製作年代が記してあります。ですから、発見されていなくとも、前後の石仏から製作年代がわかります。「享保十四年八月」と彫られている石仏はいくつかあり、第54体・第57体・第58体・第62体です。今回の地蔵は、第61体と推察できます。

しかし、第55体も未発見ではないか、第61体とするのはおかしいという考えもありますが、第54体は「正月廿四日」の日付があります。さらに第57体には「三月廿四日」の日付があります。そこで、第55体の製作は、1月か2月か3月になります。今回見つけた石仏には、「八月吉日」がありますので、第61体と考えられます。

この石仏の台石に彫られていた文字は、「享保十四年」 「飽託郡上代村右者中」 「八月吉日」と縦書き三行にわたっています。この石仏が、放牛石仏第61体であるという根拠に欠けるのが残念です。さらに、この台石は、この仏体のものであるかという疑問が生じます。では、光背はどのようになっているのでしょうか。

残念なことに、光背の表面が削られ、文字が消滅しています。もしここに、「放牛」「他力」「第61体」の文字があれば、誰も疑う余地はありません。しかし、拓本も取れないほど削られています。両手に宝珠を持った全高70cmの地蔵は、それ以上を語ろうともしません。舟形光背、仏体39cm、蓮華座、台石の大きさなど放牛石仏の特徴をもちますが、確たる証拠はありません。「右者中」と台石にありますが、側面にも人名がありません。公の場で「私は放牛石仏第61体を発見しました。」ということはできません。

いくつかの確認作業をすることにしました。私が入会している「放牛石仏の会」の会員の方に、写真と測量図を同封した手紙を送りました。早速連絡があり、12月21日(日)の10時に、副会長の山内さんと会員の福島さんに来ていただきました。現地に案内し、確認作業をしていただきました。幼い頃から住んでいるという近所の方にも参加していただき、話を伺いました。

せっかく来ていただきましたが、「放牛石仏第61体」という結論にはいたりませんでした。私としても残念ですが、今後熊本市の文化財課の協力がいただければと思います。この地蔵は、地域の方から大切にされています。毎晩休む前にお参りにくるお祖母さん、あるいは花を供える方もいます。7月24日にはお坊さんもいらして、子どもの前でお経をあげるとか。

興味のある方は、訪問してください。所在地は、熊本市城山下代町609 になります。近くには、ゲートボール場のある下代公園や前田ハイツ(アパート)があります。