永田日出男先生の疑問

永田日出男先生は、平成年6年11月1日に「放牛の風景」を発行しておられます。その中の「「他力放牛」のあとがき」に、次のようなことを書かれておられます。その一部を紹介します。

「他力放牛」のあとがき

(前文略) ・・・補填してもらいたい点は、

放牛は「他力」を標榜しながら石仏の大部分を地蔵菩薩としている。それはなぜか。

混合仏があるが、土民の勝手な創造か。放牛が混合仏に就いて最後まで意見を言わなかったのは何故か。

「世の中は火宅ときけどすみやすきつながぬ牛の身こそやすけれ」 この歌は享保13年に詠った放牛処世の歌であるが、この歌は放牛、あるいは衆生にとって有益であったか、否か。

第18体の逆修碑の理由、逆修碑を造立するような階層と放牛が交渉を持ったことは、何と理解したらよいか。

放牛を各地の町人百姓と結びつけたのは誰か。

放牛は自然死とは考え難いが、病死か、事故死か。これは重大事と思う。・・・・以下略

このように、永田先生は自らの疑問を述べ、次に続く人のために研究の方法を示唆しています。