推理・楽天知命

放牛上人が石仏に刻んだ道歌について、自分なりに解釈をしました。その中で、「楽天知命」ということばに興味を惹かれました。道歌の中に楽天知命という語句は表れませんが、放牛が民衆に説いて回った説法の内容と同じではなかったのかということです。それは、散歩の途中に墓地がありますが、墓石に「楽天」と「知命」が左右に刻まれていたからです。

楽天知命の意味は、次の通りです。

「楽天知命 故不憂」 〜  ( 天を楽しみ命を知る、故に憂えず )
天の定めを楽しみ、自分の運命を悟り自然の理に任せる。だから心配事は何もない。

なぜ楽天知命に興味を持ったかといいますと、次のような道歌があるからです。

 過去よりも 未来に通る 一と休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け( 第003体・ 第005体)
 銀もちも 穴のはたまでちがえども それからさきは おなじ土くれ(第019体)
 何に思う 何をか嘆く 世の中は ただ転ねの 花の上の露(第021体)
 盗人も とられるわれも もろともに 同じ蓮の うてななるらむ(第022体)

 世の中は 風に木の葉の 裏表 どうなりこうなり どうなりこうなり
第029体
 いう人も いわれる我も 諸共に 同じ蓮の うてななるらん
第029体
 雨あられ 雪や氷と へだつれど とくれば同じ 谷川の水
第056体
 いう人も いわれる人も 諸共に ただひとときの 夢のまぼろし
第075体
 花はくれない 柳はみどり 人の心に ふりやいらぬ
第089体
 植えてみよ 花の育たぬ 里もなし
第094体
 分け登る ふもとの道は さまさまに 同じ雲ひの 月をながむれ
無番号5体

道歌の解釈がすべて正しいとは思っていません。しかし、現世の苦しみもほんのしばらくの辛抱である、あるいは死後の世界はみな平等であると説いているような気がしています。仏の世界は平等であり、かつ仏に守られているという教えが、自分の運命を知り自然の理に任せようではないかということにつながると思います。