石仏撮影の工夫

放牛石仏に魅せられて、熊本県内を巡りました。東は久木野村、西は長洲町、南は宇土市、北は菊鹿町と、放牛石仏の所在地は広範囲です。そして大半の放牛石仏は、熊本市内です。その撮影には、ある程度の根気強さが必要です。紀行文とは別に、放牛石仏を撮影したときの内容を記してみました。

1 どのようにして出かけましたか。
 乗り物の話です。自転車・バイク1・バイク2・車と目的地に応じて、乗り物を変えました。もちろん近距離は、自宅から自転車です。しかし、上高橋町の第88体だけが近いのです。
バイク1というのは、荷物がたくさん入るリード90のことです。小回りがきいてどこにでも駐車できるので、大変便利でした。熊本市内の西部にある石仏を訪問するのに便利でした。島崎町・横手町・蓮代寺町・池田町などは、江戸時代からの街道や路地ですから、車で行っても駐車場に困るときがあります。
バイク2というのは、ヤマハのオーバーナナハンのXJR1200のことです。天気も良くて遠距離の場合、風を切って走るのは爽快です。合志町・菊鹿町・久木野村・宇土市は絶好の場所でした。楽しんでするから、何事も長続きするんですね。車は平成13年9月に新しく購入して、トヨタのブレビスで訪問しました。寒いときや遠距離のとき、またはっきりと所在がわからないときは、この車が便利でした。ナビがついていますので、近くまでは確実に行けます。

2 何を持って出かけましたか。
 撮影の道具と、測定の道具と、解説書の三つがあります。放牛石仏の撮影は、すべてデジカメを利用しました。カメラのために、コンパクトフラッシュカードが必要です。4MB・8MB・16MBの3枚を常備しています。次に電池が必要です。暗い場所ではフラッシュをたきますので、ニッケル水素電池を8本持参しました。しかし、撮影するときにカードが入ってなくて予備もないという、悲惨なこともありました。
測定の道具は、大工さんが使うメジャーです。折りたたんで小型ですから使いやすく、しかも先端が曲がっていますので便利でした。そのほか、石仏のを印刷したもの、筆記具等です。あらかじめ石仏の概略図を準備していました。さらにひもはさみも持参しました。これは前掛け(エプロン)の補修用です。古いひもは結ぶとき、簡単に切れることがあるからです。
解説書というのは、図書のコピーです。文字がはっきりしませんので、その場で確認しました。また、所在地の地図も持参しました。このほか、タオル・携帯電話・たばこ・ライター・吸殻入れ・財布・帽子が必要でした。タオルは手をふくだけでなく、石仏の汚れを落とすのにも便利でした。帽子はバイクででかけヘルメットをはずしたとき、髪の毛のセットが乱れたからです。

3 撮影はどのようにしましたか。
 デジカメの精度は、低くして撮影しました。ホームページに大きなサイズの写真は必要ありません。ほとんどの写真は、横640ピクセル・縦480ピクセルです。一枚は、平均64KB位です。ホームページに掲載するときのサイズは、横240ピクセル・縦180ピクセルにしています。

4 工夫したことは何ですか。
その場所の様子がわかるように撮影したのですが、少しずつ近寄りながら何枚も撮影しました。また石仏の全体を撮影するときは、自然光撮影とフラッシュ撮影の二種類で記録しました。しかし、デジカメの性質もあるのでしょうが、自宅へ帰りパソコンで確認すると、満足できないものもありました。フラッシュ撮影も近距離になると、白く光りすぎてしまいます。ソフトで調節してもやはり満足できません。そのほか工夫したことは、特に顔・持物・台石・道歌の四つは接写したことです。

5 困ったことがありましたか。
大きな堂の中に安置してあればいいのですが、小さな堂に安置してあると顔だけが影になります。こんなときはフラッシュをたいても、写真としては見にくいものです。このような石仏は、曇りの日がいいようです。またお堂が造り変えられたときに、台石がセメントで塗り込められているものもありました。床の下に台石があり、測定できないものもあります。
石仏によっては、前掛け(エプロン)がたくさんついているときです。10枚ほど紐で結んであると、一つずつほどくのに時間がかかりました。元に戻すときは、それ以上の時間が必要です。また石仏の前におさい銭箱・ろうそく立て・花瓶・水・ジュース・お菓子が供えられており、元の位置を覚えてから移動しました。
お堂によっては、鍵がかけてあるので困りました。そういうときは、日曜日の朝7時には出かけました。鍵を持っている方は、朝早くおまいりするからです。

6 一度行けばわかりますか。
放牛石仏のホームページ作製にあたり、一度だけというのはありません。写真を掲載している分については、すべて二度は現地へ出かけました。しかも生まれつき方向音痴のため、同じ道で迷ったこともあります。そこで二回目の訪問のときは、道の入口や交差点、目印となる建物、また電柱の住所なども撮影しました。
今では地図なしで行くことができますから、人に頼まれれば道案内もできると思っています。最も苦労して捜したのは、河内町にある石仏でした。