推理・春日町の六体

 

疑問  熊本市春日3丁目のお堂には、放牛石仏が六体もあります。その理由は何でしょうか。

熊本市春日3丁目4の地蔵堂にあります。この場所は、セブンイレブン春日店の交叉点から東側に細い路地がありますので、20mほど中(南)に入ると分かります。お宮の横になり、地蔵堂の中に4体と外に2体並んでいます。花が絶えず、いつもお参りしている方がいるようです。

第009体  第013体  第079体  無番号2体  無番号3体  無番号4体 

推理  西南戦争が始まり、戦火をさけるために移動させた。

記録が残っている場合は、なぜここへ移動したのかが分かります。しかし、移動した記録がないために、はっきりしたことは分かりません。ここ花岡山周辺は、古くから人が住んでいた場所です。しかし、道端の地蔵を移動させなければならない背景が、過去に起きています。

歴史的な事柄として考えられることは、1878年(明治10年)の西南戦争です。西郷隆盛率いる薩軍は、北岡神社に本陣を構えて、花岡山に砲台を築きました。ここ春日町も薩軍であふれ、町の人々は緊張したことと思います。戦場となったために、人々は大切な地蔵を、安全な場所に移動したのかもしれません。最近では地蔵を数多くみかけますが、あたらしい物が多いようです。当時としては、地蔵は村の宝であり、心のよりどころだったはずです。まして、放牛建立の石仏と分かっていれば、戦火を逃れる方法を考えたとおもいます。

 

推理  日本国有鉄道の開通に伴い、大規模な工事が始まり、各地の地蔵を移動させた。

もう一つ考えられることは、国鉄(現在のJR)の開通です。熊本駅を中心として、南北に広範囲にわたって軌道が敷かれ、建物が建設されました。それまでの道路はなくなり、新しい道路も造られたと思います。軌道や道路の建設に伴い、それまでの道路にあった地蔵を移動させなければなりません。そのような理由で、ここ春日4丁目の地蔵堂にいくつもの地蔵が安置されたと思います。地蔵堂の場所は軌道からも離れており、しかも周辺には墓地もありますので、国鉄関連の工事はなかったと思われます。

地蔵が一ヶ所に集められた理由を、二つの歴史的事実から推理しました。私自身は、国鉄開通によるものであると考えます。広範囲であることから、春日町全体に地蔵が六体建立されていても不思議ではありません。横手町や島崎町にも多くの地蔵が残されているからです。