放牛石仏訪問の楽しみ

このガイドブックを参考に、いくつかの石仏を訪問していただければ幸いです。放牛石仏の研究は歴史が浅く、しかも熊本県だけの内容ですから、それほど多くの方がご存知ではありません。できるだけ多くの方に放牛石仏のことを知ってほしいと考え、この冊子を作成しました。

お地蔵さんを見るだけでは、何の楽しみもありません。しかし、歴史的な背景や僧・放牛の行動を知れば、興味・関心もわくことと思います。いろいろな楽しみ方が考えられますが、いくつか紹介します。

散策して訪問する
この冊子には、「所在地一覧」や「所在地分類」を載せています。皆様が住んでいる近くにありますから、歩いて捜してください。「放牛石仏の捜し方(特徴)」も載せていますから、参考にしてください。

放牛上人の生き方を学ぶ
享保7年(1722年)当時、農民の生活はきびしいものがありました。そのような中で、放牛は願主となって石仏を115体ほど建立しました。阿蘇・長洲・宇土・矢部・菊鹿と、その石仏は広範囲に及んでいます。ひたすら衆生(民衆)の心を救いました。「放牛上人の生涯」や「放牛石仏の概要」を参考にしてください。

放牛上人の心を詠む
幼い頃に、父親が目の前で無礼打ちに遭いました。貞享3年(1686年)の1月4日のことです。その後30数年間の修行のあと、放牛は何を考えながら石仏を建立したのでしょうか。放牛の考えや願いは、石仏に彫られた道歌(どうか)にあるのかもしれません。「放牛石仏の道歌」をご覧ください。

未発見の石仏を捜す
「放牛石仏の概要」などに、未発見の石仏番号を記しています。石仏が放牛上人のものかどうかは、「放牛石仏の捜し方(特徴)」が参考になるかと思います。散歩の途中に地蔵がありましたら、そっとのぞいてください。

放牛石仏の研究をする
放牛上人に関することは、なぞに包まれています。放牛石仏に関しても、すべてが研究されたとはいえません。しかも、未発見の石仏があります。もう少し放牛石仏について調べてみたいと思われる方は、私のホームページをご覧ください。「放牛石仏を求めて」のURL(ホームページの住所)とメールアドレスは、次の通りです。インターネットをしていない方は、近所の公民館などでお願いすれば閲覧できると思います。

http://www.infobears.ne.jp/athome/fukusuke291/

fukusuke291@mb.infobears.ne.jp

〒860-0066 熊本市城山下代町744-3   福井 俊介  

このページは、ガイドブック作成のために書いたものです。