地図で見る〜熊本市外

 

石仏は、享保7年(西暦1722年)から享保17年(1732年)の11年間に建立されています。掲載した写真は、熊本市を除く石仏の所在地を示しています。熊本県の地図にシールを貼りました。
緑色のシールは、第1体から第50体(前半)までの番号になっています。赤色のシールは第51体から第107体(後半)までに示しています。

 

 

最も北にあるのは、鹿本郡菊鹿町長谷原の無番号第8体です。最も東にあるのは、阿蘇郡久木野村の第35体です。最も南にあるのは、宇土市松原町西安寺の第83体です。最も西にあるのは、玉名郡長洲町上沖の洲の第76体です。なお南東(右下)の赤いシールは、上益城郡矢部町上畑の第98体です。

熊本県の広範囲にわたり、放牛は石仏を建立しました。赤いシールが多いのは、村人が放牛のうわさを聞きつけ、石仏建立を依頼したためと思われます。このようなとき、村人は講をつくって浄財を集めたことでしょう。放牛がどのような形で引き受け、どのようにして石工に指示したかは不明です。実際にでかけたのでしょうか。石仏が完成したときには、村人を集めてお経をあげたと思うのですが。