放牛道歌のまとめ

放牛が願主となって建立した石仏には、道歌(どうか)が刻まれています。道歌が彫られている場所は、舟形光背や石仏が乗っている台石です。この中には放牛自身の心を詠んだ歌や、人々の不安を取り除こうとする歌と思われるものがあります。

すべての道歌の解釈が終わりましたので、まとめてみました。解釈によって、分類しました。放牛の願意が伝わるかもしれません。

1,自分の運命を悟り自然の理にまかせ、心配しないように説いた道歌。

 過去よりも 未来に通る 一と休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け( 第003体・ 第005体)

 銀もちも 穴のはたまでちがえども それからさきは おなじ土くれ(第019体)

 何に思う 何をか嘆く 世の中は ただ転ねの 花の上の露(第021体)

 盗人も とられるわれも もろともに 同じ蓮の うてななるらむ(第022体)

 世の中は 風に木の葉の 裏表 どうなりこうなり どうなりこうなり第029体

 いう人も いわれる我も 諸共に 同じ蓮の うてななるらん 第029体

 雨あられ 雪や氷と へだつれど とくれば同じ 谷川の水第056体

 いう人も いわれる人も 諸共に ただひとときの 夢のまぼろし第075体

 花はくれない 柳はみどり 人の心に ふりやいらぬ第089体

 植えてみよ 花の育たぬ 里もなし第094体

 分け登る ふもとの道は さまさまに 同じ雲ひの 月をながむれ無番号5体

2,仏の教えと、そのすばらしさを説いたと思われる道歌。

 なむあみだ なむあみだぶつの 外は皆 思うも言うも 迷いなりけり( 第007体)

 たてまつる 蓮の上の露ばかり われを守れと 三世の佛に( 第025体)

 たてまつる 蓮の上の 露一と掬い 三世の佛に第035体

 あればなる なければならぬ すずの玉 むねに六じのなくば となえず第047体

 人々は 飴か 砂糖か 甘草か 弥陀は苦いが 口に言わねど第060体

 一遍の 称名の下に 八十億劫の 罪を滅す第065体・第097体・第104体・第107体

 稼ぐに 追つく貧乏なきに 唱え念仏ばかり無番号6体

 ゆめの世に またまぼろしの 身がいきて うつゝにかよう 人もまたある第036体

3,放牛自身の役割を思わせる道歌。

 放牛は 湯屋の如く 世上の人は 入りての如し( 第014体)

 世をすくう心は われもあるものを かりのすがたは さもあればあれ(第020体)

 三界の 衆生をのせる 放れ牛 地蔵まいりの 人をみちびく第038体・第067体・第071体・第073体・第074体

 世の中は 火宅ときけど すみやすき つながぬ牛の 身こそやすけれ 第044体

4,放牛が親孝行をするように説いた道歌。

 かみほとけ おがまぬさきに おやおがめ かみやほとけも うれしかるらん第041体・第051体

 神ほとけ おがまぬさきに おやおがめ おやにましたる 佛世になし第044体

 親のまへ 不孝のみにて 神ほとけ たすけ給えと いうぞおかしき第092体・第096体・無番号2体

5,身分制度や政治に対する不満を述べたと思われる道歌。

 なにごとの おわしますかは しらねども ありがたなさに なみだこぼるる無番号3体

 人問わば 山を川とも答うべし 心と問わば 如何に答えん(第024体)

6,仏の教えに対する疑問を投げかけたと思われる道歌。

 一度も 佛をたのむ行者とて まことの法は 叶いこそすれ( 第006体)

 じごくのさたも 法がする とかく佛も 心ほどはひからず第036体