放牛地蔵・第36体

(場所) 熊本市から北上していくと、鹿本郡植木町向坂に向坂バス停があります。その手前に県警交通機動隊へ行く道がありますので、右折(東に)してください。そして、最初の四つ角を左折します。下り坂になりますが、左側に機動隊の建物、右側に県警自動車訓練場となります。坂を200mほど進んだ所の左側に、小原流(華道)の教室があります。そのすぐ右に、車一台が通れるほどの細い路地があります。5mほど進みますと、左側に石段があり、それを登ればこの石仏に対面できます。大変捜しにくい場所で、まさかこんな所にと思ったほどです。

          

 

(石仏) 両手に宝珠を持っている、地蔵菩薩です。保存状態はよく、光背も欠けていません。しかし、文字の判読はむずかしくなっています。この石仏は、享保12年(1727)の建立です。

(測定) 蓮華座の底から全体の高さは、92cmです。蓮華座の高さは13cmです。仏像の高さは55cmです。光背の幅は36cm、底辺の幅は28cmでした。台石は横31cm・縦31cm・高さ36cmです。台石は半分ほどがセメントで固められていますが、正面は見えるようになっていました。

(文字) 光背右に「三十六体目」 「享保十二丁未五月」、左に「佗力 願主放牛」と刻まれています。また蓮華座の正面花びらに、「知西」と書かれています。光背の上部と台石に道歌が書かれています。また台石の右に「享保十二丁未」、左に「五月放牛」と刻まれています。

(仏体の道歌) 地獄のさたも法がする とかく佛も心ほとぞひからず

(台石の道歌) ゆめの世にまたまほろしの身か生きて うつつにかよう人もまたある

(備考) 以前撮影した写真は、私の勘違いで別の物を紹介していました。道端の地蔵さんは数多く、運良く出会っててっきり放牛石仏と思うこともしばしばです。平成13年12月1日、改めて訪問しました。表の道は旧街道になり、植木天満宮まで一本道です。途中に西南戦争の記念碑があります。官軍・乃木少佐の旗手を務めた河原林少尉が戦死して、軍旗を奪われた場所です。