放牛石仏・第72体

(場所) 玉名郡玉東町原倉本村の地蔵堂にあります。県道沿いで、左に直進すれば植木町に下る場所になります。Y字形の交叉点で、角に清田酒屋があります。玉東町唯一の放牛地蔵です。堂には二つの地蔵が並んでいますが、左の欠けている地蔵です。地元では「身代わり地蔵」として大切に扱われています。佐々友房や兵士の命を救ったからだそうです。

          

 

(石仏) 両手に宝珠を持つ地蔵菩薩の立像です。ご覧のとおり、右肩から左腕ひじにかけて折れています。西南戦争のときに砲弾が当たり、顔の部分もありません。しかし、胸から下の部分は保存状態もいいです。文字も読めますし、宝珠も残っています。この石仏は、享保15年(1730)に建立されたものです。享保15年に建立された12体の中では、最初の作品です。

(測定) 蓮華座の底辺から測定した全体の高さは、67cmです。これは右肩の一番上までの高さです。蓮華座は20cmの高さです。光背の幅は34cmあり、蓮華座の底辺幅は32cmです。仏像の高さは測定できません。台石もありません。

(文字) 光背の右側に「五庚戊年正月」と彫られています。「五」の上には、「享保十」があったと思いますが、欠損しているため現在はわかりません。光背の左側には「陀力放牛」と書かれています。

(備考) 以前は西南戦争の激戦地・吉次峠にあったそうです。民家が移転したので明治に移されたということです。吉次峠にあったのであれば、原倉の立岩の官軍砲兵が攻撃したと思われます。
現在吉次峠は史跡として整備され、りっぱな公園になっています。すぐ近くの半高山も同様で、展望台もあり、4月には桜の花見でにぎわいます。