アンケート回答・番外編 Part2  〜ガセネタから逃れる術〜

第2弾は予告のとおり”ガセネタから逃れる術”です・・・といっても、何も術はないんですね。毎日の情報 チェックの中で少しずつ気をつけていくしか方法はなく、後はその繰り返しによって”勘”を養うことかな。。。

せめて自分のページでガセネタを振りまかないように気をつけてはいるけれど、これも絶対大丈夫という自信は なく、アップの度に少しずつ気をつけていくしか方法はないのかな。。。


”ガセネタを書こう!”

これは大学の時にとっていた「ジャーナリズム論」の中のひとつのワークショップ名。その名の とおりに各受講者が腕によりをかけてガセネタ記事を書く場・・・ではなく、各受講者が書いた記事を、講師とその他の 受講者が検証し、まぎらわしい表現はないか、 事実と異なる記述はないか、不必要な議論を呼ぶ表現はないかをチェックする場なのだが、これが毎回 全員がトホホ・・・となるほど問題記述が槍玉にあがっていくのだ。今度は大丈夫!と思っていても、読点の打ち方 ひとつで書き手が意図していたものと違う受け取られ方をしてしまうのだから、100%OK!はありえないとさえ 思えてしまう。

要は、細心の注意を払っていても予期せぬガセネタを誕生させてしまうのだから、注意して無くすことができる ものは全て無くしましょう!ということ。その注意は、自分が書く場合のみではなく、自分が読む場合にも 当てはまるもので、今日のように情報が溢れている時代には、自分でその情報を吟味し真偽を判定し取捨選択する ことがとても大切になってきていると思う。

タイトルは客引き

記事にはタイトルがつきもの。ほとんどのタイトルは記事の内容を端的に表現しており、時間がない時におおまかな 内容を掴むうえで便利なものだが、なかには読者を引き寄せるために意図的にセンセーショナルなタイトルを つけることも多く、タイトルと記事内容が必ずしも一致していないのは、日本の週刊誌のタイトル等でも お馴じみのことだろう。(前項の”ガセネタを書こう!”もいわばそのひとつ。)

”おっ?!と目が留まったタイトルなら特に記事の中身を確認”。これは読者の注意をひこう!という書き手の 策略にまんまと乗せられているわけだが、誤解したまま通りすぎるより良いでしょう、きっと。

元ネタを探索する旅 Part1

自分が何かしらの情報を発信するためにネタを探している時にはさらに注意が必要。 例えば、「○○選手が記者会見で△△への欠場を表明した」というタイトルの記事があったとする。記事は信頼に 足る通信社から発信されており、記事の中身とタイトルも矛盾がないし、他の通信社からもほぼ同様の記事が発信されて いる。これならば自分が作っているページに情報として載せても問題ないかなと思うが、念のため検索サイトを駆使 してこの情報の根拠となった記事またはコメントを探すことにする。

すると、元ネタはその時開催中の大会の記者会見にあることがわかる。なにも特別な会見ではなく、いつもの試合後の 記者会見の場で、「君は△△へは出場しないといわれているけれど、それは本当か?」と質問され、「Yes」と答え、 「それはもう決定したことか?」と念押しされ、「Yes」と答えた。その話題はそれっきりで、 その前後には違う話題の質疑応答が続くというもの。

ここまで確認すれば、「欠場を表明した」と書いても問題はないが、「欠場すると語った」と書けば事実とは異なると いうことがわかる。この例ではそれでも大きな問題ではないが、「欠場すると語った」という情報がまた別の 情報の元ネタとなった場合には、伝言ゲームのごとく少しずつモディファイされ、しまいには、 「え〜、わたくしは、△△に欠場することをここに表明いたします!」と緊急記者会見でも開いたかのような情報に 変貌することもありえるので、しょぼい個人ページではあっても、できる限りの注意は払って発信せねばと思う。

元ネタを探索する旅 Part2

再び例えば、「○○選手が記者会見で△△選手を非難。」という記事があったとする。これまたニュースソースと してはそこそこ信用のあるところからの発信だが、”ケンカネタ”の場合は用心するにこしたことはないので、 これも元ネタを探ることにする・・・

・・・と、やはり出所は通常の試合後の記者会見であり、結論を言えば、非難するような回答はどこにも 見当たらず、ただ「僕の考えは、△△とは同じではない。」というコメントがあるだけである。同じではないと いうことは、賛成ではないわけだが、賛成ではないから反対というわけでもないし、ましてや非難しているわけ でもないだろう。もしかしたら非難の気持ちはあるのかもしれないが、せっかく言葉を選んで答えているのだから、 自分が書くときは、その努力はいかした形で表現したいと思う。

元ネタを探索する旅 Part3

今度は具体的に固有名詞付きの例。今年のオーストラリアン・オープン期間中に、南米テニス関連のサイトに”グガが、あるアルゼンチン 選手とスペイン選手のケンカを仲裁した”という記事が出た。これもケンカネタなので、どこかにもっと具体的な 話が出ていないかをチェックする・・・

・・・と、どうやら元ネタは、Herald Sun紙のコラムらしいということがわかる。ここまでわかったら当然その コラムも読んでみたのだが、「”噂によると”1/16(木)夜にメルボルン市内のホテルで行われたプレーヤーズ・ パーティで、スペイン選手とアルゼンチン選手の一部で小競り合いがあり、クエルテンがその場を仲裁した。」 というもの。”伝えられるところによると”よりもあやふやな”噂によると”というところがポイントで、当然この コラムを書いた人が直接目撃したことではないわけだ。

個人的には、多分実際にあったことだと思うし、1/16(木)といえばグガが2回戦でフルセット負けした当日で、 精神的には自分が一番カッとしていただろうに仲裁役になるなんて、おもしれ〜と思ったものの、そのスペイン選手と アルゼンチン選手とは一体誰なんだ?という余計な疑問も生んでしまうだけに、自分のページで取り上げるのは やめておいた。でも、実際誰と誰の小競り合いだったんだろ??

オフィシャルは”販促”?

以上3つの例は”ガゼネタ”ではないものの、書き手の取り上げ方や書き方によって、読み手の印象が大きく 変わってしまうものだ。 日本の各大手新聞にそれぞれの”傾向”があるように、世界の情報サイトにもそのサイトの”傾向”というものが 存在するはず。全てのサイトを確認することはできないが、せめて自分が毎日チェックするサイトや記者の立場なり 傾向なりを押さえておけば、必要以上にビックリしたり振り回されることもなくなると思う。

今や多くの選手のオフィシャルページが存在しており、マスコミのフィルターなしにダイレクトに情報が伝わるのは ありがたいが、オフィシャルページにも”傾向”はある。極端な話をすると、 オフィシャルページであれば、その選手にとっての良い情報だけを流しておいても構わないわけで、都合の悪い 話題は避けてとおってよいわけだ。もっとも、そんな極端なオフィシャルページにはファンもついて いかないので、どこでもそこそこにフェアな運営が行われているように思う。

グガ・オフィシャルの場合は、表紙が重いわりに情報量はあまり多くなく、もっと細かいニュースが 欲しいなぁと思う時もあるが、逆に”絞られた情報”に発信者の職業意識が感じられる。オフィシャルに情報を提供している のは、グガのツアーに同行しているダイアナさんだから、書こうと思えばいくらでも書くネタはあるだろうし、 プライベートでは”弟のような(同い年のはずだが??)”と形容するグガについて書くわけだから、時には内輪だけに しかわからない事情を明らかにして弁護したくもなるだろうが、一歩引いて客観的に書こうとする努力がみえるようで、 それが好ましい。時には敗戦に関してバッサリと斬ることもあり、オフィシャルとしてはかなり信頼できると思っている。

勝負のフィルターがけ

オフィシャルではない個人の応援サイトでも、それぞれの傾向があるはず。というよりも個人サイトの場合はその 「傾向=その人の料理の仕方=フィルターのかけ方」が売りでもあるわけだ。確固たる方針を持ってやって おられる所もあるだろうし、迷いながらの所もあるだろう。

私の場合は、”日々迷いながらも書くときは迷わず”かな。。。迷いながらでは一貫性もなくなるので、書こうと 思ったことは勝負!と思って書くようにしている。取り上げる話題としては、あくまでもスポーツ選手のグスタボ・ クエルテンを応援しているわけだから、 その試合やプレーぶりが一番重要で、あまりプライベートな部分は詮索したくないと思っている。しかし時折 こぼれてくるプライベートな話題もおもしろいし、試合への興味をさらにかきたてられるような話もあるので、 おまけとして取り上げたい。かといって、良い話だけを取り上げるのも偏っているので、真っ当な批判や 論争がある場合はそれも取り上げようと思っているが、これがあまりないんですねぇ。。。最後は笑ってしまうような トホホな話題はあるものの、それは君が悪い!とピシャッと非難すべき話はほとんどなく、だからこそぼちぼちながらも 応援ページを続けていられるのかなぁと思う。

カタカナ表記の限界

”日々迷いながら書くときも迷いつつ”なのが選手名のカタカナ表記。もともと日本語にはない発音を表現する わけだから正確な表記は不可能なのだが、できるだけ近い表記にはしたいと思う・・・が、難しいん ですねぇ、これが。東欧や北欧の選手の中には、中途半端にそれっぽく呼ばれるよりは英語読みの方が良いという 人もいるし、永遠に解決しない問題だ。

それに、それっぽく表記したとしても、読んだ人が誰のことかわからないでは名前表記の意味もないし。グガの場合も、 ”クエルテン”より、”キェルテン”の方が近いと思うが、消えるけん!(私の地元の飲み会用語のひとつ)と いなくなっては困るしな。。。

最後にPart2の結論・・・

うだうだと書いてしまったが、結論としては、自分が読む時も書く時も色々と注意は払っているけれど、 十分な時間がない時もあるし、自分に”ノリ”がない時もあるので、結果的に不正確な情報を載せてしまうこともある かもしれないということと、それは本意ではないので、もし読んで気づくことがあれば、是非指摘していただきたいと いうこと。

自分の趣味に偏ったページなので、感想や予想としていろいろな話を展開することはあっても、事実では ないことを事実として書くことはないので、あくまでも自分の気持ちとして表現している部分と、事実として報告して いる部分を分けて読んでいただけるとありがたいです。


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