Gustavo "Guga" Kuerten/ぐがのみち
2000 Vol-7
Vol-7はUSオープンとオリンピック前の”スポンサー戦争”。残念な
出来事の連続だったけれど、グガの強さも再発見だ。
(北米ハードコート前半戦の模様は
Vol-6へ!)
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シドニーへ向け出発&到着
2日たって...ブラジル時間7日(木)
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6日(水)夜になって、今度はOlympikus側が再び声明を発表。この問題を解決できるならば、対応を
考えてもよいという姿勢をみせる。その後、オーストラリア入りしているナズマン氏と協議を続け、
結果は同氏の記者会見待ち。
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ブラジル時間の7日(木)朝9時にナズマン氏が会見し、スポンサーのOlympikusが、表彰式でのOlympikus
ウェアー着用を約束すれば、試合中はロゴなしのウェアーでプレーすることを認めたことを確認した。
ナズマン氏いわく、
「これで後はクエルテン次第だ。本当に出場したいのなら来るだろう?」(=>この可愛げのない言い方
よ。まあ、可愛く言われても困るのだが。)
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この間にDiadora側もOlympikus側の意向を了承。結局、オリンピック村滞在中および試合中は、
スポンサーロゴなしの”中立の”ウェアーを着用し、メダルを獲得した場合は、Olympikusウェアー
着用で表彰式に臨むという、双方の譲歩案が合意に達した。
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11時にフロリアノポリスのホテルで、クエルテンとパソス・コーチが記者会見し、スポンサーの
合意を得たことで、シドニーオリンピック参加が可能になったことを正式に発表した。すったもんだの
末にようやく解決をみたわけだが、グガの表情は疲労が激しく、時として涙を浮かべながらの会見
だったという。
以下、グガのコメント...
「この数日というのは、本当に神経が磨り減るような困難な日々だった。だけど、ようやく道が
開けたよ。一時はもうどうにもならないと思ったけれど、行く先々で皆が励ましてくれた。
僕を信じているし、ずっと味方だとね。本当に励まされたよ。僕をオリンピックに送ってくれたのは
ブラジルの人々だ。」「僕はこの国を愛しているし、誇りに思っている。それは今さら証明する
必要はないことだ。デ杯では痛みがあってもプレーした。それは国を代表していたからだ。
オリンピックでも同じだよ。ブラジルにとって最高のオリンピックになるようにベストをつくす。」
ナズマン氏の批判に対する感想もたずねられたようだが、それには直接言及せず、悲しく、落ち込む
ような出来事の連続だったが、今は忘れて、コート上の戦いに集中したいとだけ語ったようだ。
思わず鬱憤をはらすような言葉を吐いてしまうのではないかと心配していたのだが、大丈夫だったね。
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なにはともあれ、無事に出場決定だ。”スポンサー戦争”といわれた両社の事情等もレポート
されており、全ての関係者にとって難しい状況だったことはよくわかる。もしかしたら、騒動を
起さないと、どうにも動きがとれない状況だったのかもしれないが、誰の得にもならないこと
である。パソスさんの言葉を借りれば、”ファンの胃薬代は誰が払ってくれるの?”だな。
(私の場合は、リポビダンD代なんだけど。)
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最後に、もうひとりの男子代表選手であるジャイメ・オーシンスについて(出場はダブルスのみ)。
グガと同じDiadora契約選手にもかかわらず、途中までは蚊帳の外。そして、クエルテンが出場不可
ならば当然オーシンスの場合も不可能だといきなり告げられ、それっきり。グガの出場にGOが
かかっても、オーシンスもOKとはどこにも書いてない。本人には報告されているのだろうが、
ちゃんと書いてやってよ。
1日たって...ブラジル時間6日(水)
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グガの不参加表明から1日たって、会見、声明文、コメントの山。ひとつひとつ
読んでいると、つくづく議論慣れしている人々だわぃと感心する。こういうゴタゴタを切りぬけていく
のもプロ活動の大きな課題なのだろうが、かつてはアマチュアの祭典といわれたオリンピックを
前にしての問題だけに、かなり皮肉である。なんだかよくわからなくなってきたのだが、一発逆転も
あるのか?
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Olympikus側も声明を発表。陸上競技ではOlympikus自身もDiadoraと同じ立場(個人契約している
選手が、連盟契約のFilaのユニフォームを着用することになっている)だが、なんら反対はしていない
こと、問題となっているウェアーのロゴに関しては、極力TVに映らないようにウェアーの生地と
同色のロゴを特別につくることまで提案したことを明らかにし、ブラジルテニス連盟(CBT)の
手続きミスとDiadora社がこの問題の原因であると非難した。
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ミスといわれ続けて旗色が悪いCBTが、グガと共にダブルスに出場する予定だったジャイメ・
オーシンス(やはりDiadora契約選手)に関しても、現状では出場は不可能とコメント。
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グガのスポンサーのひとつであるBanco Do Brazilも声明を発表。今回の問題には一切関与しないが、
彼の選択を受け入れることを表明。
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6日(水)の午後にグガも記者会見を行う予定だったのだが7日(木)へ延期。ここまで失言なく、
慎重な態度で切りぬけているだけに、準備は十分にしておいたほうがいい。
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他競技のブラジル代表選手たちもコメントを寄せる。サッカーのロジェールはグガ・ファンを自認
しているのだが、「詳しいことは知らないけれど、ブラジルにとっての損失だよ。ここ(オースト
ラリア)で会えると思っていたのに。」と語り、前日グガからエールを送られた水泳のフェルナンド
・シェレルも、「すごく残念だよ。彼がここに来ないことになったら、きっと何かが欠けているように
感じると思うよ。」と語るなか、サッカー代表監督のルシェンブルゴが、「残念なことだけど、
彼がその常識をもって考えていたら、もう少し早く予防策が取れたんじゃないか?」と意見していた
のが興味をひいた。ブラジルお家芸の総監督としては、人のことなど心配している余裕はないよなあ。
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ことのほか世論が冷たいことを気にしたのか、ナズマン氏が再び会見し、テニス競技エントリーの最終
締め切りにあたる14日(木)までは、門戸は開いていると語った。(=>そんな先まで引っぱら
れたら、こちらの胃がもたないゾ。)
シドニーオリンピックについて...
ブラジル時間5日(火)
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5日(火)の夜に行われたCOB(ブラジルオリンピック委員会)と、クエルテンのスポンサーで
あるDiadora社の交渉が決裂に終り、グガのオリンピック出場はほぼ不可能となった。
ウィンブルドン後にオリンピックエントリーが決定した頃から、このスポンサー問題は取り上げられて
いたのだが、あるCOBの関係者によると、「試合では選手個人が契約するウェアーを身に着けてよいが、
メダルを獲得し、表彰台に上る場合はCOBが契約するOlympikusのユニフォームを着用する」
ということで合意が取れていたという。
しかし、先週になってCOB委員長のナズマン氏が、「サッカーと陸上競技を除き、オリンピックに
出場する選手は全てOlympikusのユニフォームを着用しなければならない。例外は一切認めない。」と
ぶち上げたことで、問題が一気にクローズアップ。以来、合意点に達するための話し合いが続けられて
いた。
交渉の過程で、Diadora社側は、”オリンピック期間中は、Diadoraロゴなしのウェアー
(実質的なスポンサーなしの状態)でも良い。
COBのロゴを付けることも構わない。”という段階まで大幅に譲歩したのだが、あくまでも
スポンサーのOlympikusロゴ入りウェアーの着用を義務づけるCOBは譲歩せず、5日の深夜
(ブラジル時間)
になって、クエルテン本人が”シドニーには出場しない”旨の声明を出すこととなった。
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ナズマン氏が語る、”サッカーと陸上競技を除き”というのがスッキリしないのだが、サッカー
の代表チームに関しては、Nike がガッチリ押さえこんでいるので、オリンピック委員会といえども
手が出ないところなのだ。しかし、ナズマン氏が言うには、「個別のスポンサーがある場合は、各競技
連盟が事前に申し出をすることになっていた。しかし、CBT(ブラジルテニス連盟)からは何の
連絡もなかった。だから、クエルテンはこの例外には当たらない。」らしい。なにかと”役不足”を
指摘されるCBTだが、”政治力”も欠けているのか。
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CBTに務まったかどうかはわからないが、今回の展開で残念だったのは、ふさわしい調停役
がいなかったことだ。オリンピック開幕が近づき、各国、各競技で様々な揉め事が発生しているなか
で、(ナズマン氏を除き)各関係者が譲歩の姿勢をみせ、比較的解決可能だと思われていた今回の
問題だけに、最終的に暗礁に乗り上げてしまったのは、つくづく残念だ。(強硬だったナズマン氏も、
立場上は仕方がなかったのだろうが、いろいろと不適切なコメントをする人である。)
USオープン(フラッシングメドゥ)
Aug28〜Sep10
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第2シードとして挑む4度目のUSオープン。1回戦の相手は、予選上がりのウェイン・アーサーズ
(オーストラリア)。予選通過選手を相手にする初戦は難しいものだし、先をみても、かなり難しい
ドローを引きあてたようだが、とにかく1戦1戦に集中していくことだな。
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先週はインディアナポリスで優勝して、サンタナのショーで歌って、月曜日にニューヨーク入り。
2日間は完全オフ日で、ゆっくり食事に行ったり、WNBAの試合を観戦したり、ミュージカルを
みたりして楽しく過ごしたようだ。(昨年のUSオープン期間中も2度ほどミュージカルを楽しんだ
と語っていたし、トロントでも”ライオンキング”をみたというし、かなりのミュージカル好きと
みえる。)
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ゆっくり楽しんだオフの後は、もちろんトレーニング。フラッシングメドゥ入りしてからは、
サフィン、アガシ、ヘンマン、レヴィーらを相手にしっかりと練習をこなし、28日(月)には、
アーサーズ対策として、レフトハンダーのヤン・シーメリンクを相手に練習試合。リターン時の
カット&チャージにも熱心に挑戦していたらしい。このあたりは、シンシナティのヘンマン戦の
反省をもとにした対策かな?
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USオープンはお召し替えの舞台でもありまする。この1年間ですっかりお馴染みとなったベージュ
&ダークブルーのウェアはインディアナポリスで見納め。とってもよく似合っていたので惜しい気も
するが、新しい衣装も楽しみだ。
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残念ながらアーサーズ戦は、6−4,3−6,6−7(4-7),6−7(1-7)で落とし、ビッグアップ
セットを提供。記念の(?)キャリア100敗目をUSオープンのセンターコート(アーサー・
アッシュスタジアム)で飾ってしまいました。
こうなるとWOWOWのTV放送が、有り難いような、有り難くないような...。
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観たいような、観たくないような放送をみる。結果がわかっているだけに、序盤に誉められたりすると
ちょっと不憫になったりもする。最近は、勝利の弁として、”適切な時に適切なプレーができた”
又は、”必要な時に必要なプレーができた”というフレーズを多用していたのだが、今回はそれを
否定形にして、敗戦の弁としたようだ。恐らく、土の上だったら、なんてことはない展開になったの
だろうが、本人はサーフェスの差を否定。3月のキービスケインの時は、ハードコート見習中という
姿勢だったのだが、もう十分やっていけるのだという思いは確実に掴んでいるようだ。
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”世界No2”というプレッシャーや、周囲の期待に対しては、ちょっと弱気の発言もあったよう
だが、ショッキングな敗戦の後だけに無理もないか。30日(水)には故郷のフロリアノポリスに
戻るようなので、またモーティベーションを見出して、課題に取り組んで、思わぬ空き時間を身体の
ケアにいかして...なんて言わなくても、先刻承知かな。
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フェレーロと対戦した同胞メリジェニも破れてしまったが、ブラジル3番手のアンドレ・サが
1回戦を突破。自分の結果にはガッカリのグガだったが、その結果を確認して、「良かったね!
これでみんな応援できるよ。」と”ブラジル応援団”への気遣いをみせていたらしい。いろいろと
思いを巡らせることが多くて大変だね...。
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予定どおり新しいウェアーのお披露目となったが、試合の結果が結果だけに、なんとなくしっくり
こない感も。もう少し派手な色合いでも良かったのにな。
思えば遠くに来たもんだ ...
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97年ローランギャロスでクエルテンが優勝して以来、ブラジルのテニス事情が盛りあがっている
という話は時々目にするが、統計的にいうと、テニス人口の増加は30%程度。しかし、
プレーヤーの熱心さはその統計を上回っており、
”週に1度プレーしていた人が、週に3・4回クラブに
通うようになった”という状態らしい。つまり、”グガ、テニスコートを混雑させる”という状況。
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エンリケ君のようなジュニア選手にとって、”将来の自分を映し出す鏡”としてグガが活躍して
いるのは大きな励みだが、選手の親たちにとっては難しい課題を抱え込む原因でもあるようだ。
”自分の子供が将来はグガのようになれるかもしれない。しかし、あそこまで到達するのは
本当に稀なのだ”ということを真に理解して、経済的な支援を初めとするサポートを続けるのは
とても難しいものらしい。これは、ブラジルに限ったことではなく、日本でも同じだと思うが。
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その稀な存在であるグガだが、当の本人も、ここまでなれるとは思いもしなかったようで、
「思っていたより、ずっと遠くまで来ている。」のだそうだ。
インディアナポリスの記者会見では、”テニスを始めた時には、どうなりたいと思っていた?”という
質問が出たが、その答えは、「自分の街のトーナメントで勝てたらなあ...と。」−−−それが、
エントリーシステムでも2位へ上がるところまで来たのだから、さぞや感慨深いだろうと思いきや、
「世界No1とか、2位だの3位だのなんて考えていたら、おかしなことになるよ。今よりも少しでも
進歩して上手くなりたいと考えるだけ。」なのだそう。そう考え続けることの方が難しそうだが、
是非、まっとうして欲しいなあ。
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前述のグガの答えに対し、質問をした記者は、”フロリアノポリスの?”と訊き返していたが、
この都市も有名になったもんだ。日本ではどうしても国単位で考えがちだが、都市ごとに大きな特徴が
ある世界では、ことあるごとに出身地が明記されるので、有名人が出るとその街まで一気に名が上がる。
クエルテンがフロリアノポリスの”特別外交官賞”を受賞したのも納得だ。
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