Gustavo "Guga" Kuerten/ぐがのみち
2003 Vol-7
2003 Vol-7は、3年ぶりの登場となったウィンブルドンの模様。もう少し長い
時間ハラハラさせて欲しかったんだけどなぁ。。。来年のチャレンジに期待!
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2003 Vol-6
後半戦へ〜 Jun 27
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6/27(金)にはロンドンからフロリアノポリスへ帰還。行方を知りたいわけではないのだが、飛行機の移動というのは
それなりに気になるので、着いてくれると安心するものだ。
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夏のハードコート・シリーズのスケジュールは、7/28〜L.A.、8/4〜M.S.モントリオール、8/11〜M.S.シンシナティ、そして
8/25〜U.S.オープン。今シーズンのスタート時には、年間30大会を予定という話題もあったが、
やはり例年並の出場数に押さえてきたようだ。今季はL.A.の前週(7/21〜)にインディアナポリスが繰り上げ開催されるので
、もしかしたら出場するかも?と思っていたのだが、今のところ予定はないようだ。2000年に自身初のハードコート優勝を
果たした大会なのだが、2001年のラケット紛失事件以来ちょっと心離れ??
The Championships, Wimbledon 2003 (ロンドン) Jun 23 〜 Jul 6
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1回戦後のグガのコメント−−−「奇妙な試合だった。相手がいなくなるなんて思いもよらなかったよ。サーブの後に
彼が叫ぶのをきいて、これは深刻なんだなと思った。」「とても難しい試合だったけれど、少なくともあの時点では
意気も上がっていたし、もっと試合に入り込んでいたし、競ったプレーをしていた。逆転できたはずなんて言えない
けれど、ゲームの中で良い感触を掴んでいたんだ。ともかく、思いもよらないことだったから、今は起こったことは
全て忘れて先のことを考えなきゃね。」
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3年ぶりのウィンブルドン用衣装は、初登場のOlympikus白黒襟付きバージョン。世界へのデビュー時がド派手な
ウェアーだったためその印象が強いのだが、個人的には白のウェアーもとてもよく似合うと思う。せっかくの
新衣装なのだから、動いているところがみたい! WebCamじゃ不満だ!
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”準決勝に進出した年よりも良いプレーをしている”と自ら語るトッド・マーティン(U.S.)と対戦した2回戦は、
6−7(4-7)・4−6・4−6で落とし、3年ぶりのウィンブルドンは早くも終了。
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この結果はとても不満。とてもガッカリしたので正直にそう書こうと思ったが、1回戦も2回戦も実際に
プレーをみたわけではないので、数字だけをみて不満というのも勝手かなぁ〜とも思う。
相手の調子が良かったからとか、久々の芝の試合で頑張ったとか、1回戦をフルに戦えなかったのが不利になった
とか、終わったことに注文をつけても仕方ないとか、色々と自分を納得させる言葉はあるのだが、納得するばかりが
大人ではない?! ので、やはりとても不満と書かせていただこう。
とても不満だったのは、とても期待していたからこそ。
とにかく、敗戦が大きな話題にならないというのも寂しいと思うのだ。早めの敗退には(多少なりとも)驚く
自分でありたいし、簡単には敗戦に納得しない頑固ファンでいきたいと思う。
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たらたらと不満の言葉を並べてしまったが、今年は欠場だった過去2回と違って、”はじまるぞ〜”という開幕の
ワクワク感は十分に楽しませてもらった。それ以上にハラハラ&ドキドキ感も十分に与えてくれたけれど、
故障がなく出場してくれることは何よりも代えがたい。後半戦はもう一段闘志のレベルを上げて戦う男でいってほしいが、
故障をぶり返しては何にもならないので、クールな男でもあってほしい。それが”ベテランの味”というものよ。。。
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最後におまけ。今年も地元の期待(とプレッシャー)を背負うティム・ヘンマン。そのヘンマンの
お母さんが、グガvsマーティン戦を観にきていたらしい。敵情視察にしてはドローが離れているし、敵情視察だったら
コーチが来るだろうから、”うちの息子とペアを組んだブラジルのコ”を観てみたかったのかしら?と想像が
膨らむ。息子ティムの地元優勝への道は年々厳しくなっているが、今年は私も応援してるよ!
倫敦到着 Jun 19
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6/18(水)にフロリアノポリスでの調整を切り上げ、地元記者を相手に会見を行った後、ロンドンへ向かって飛び立った。
記者会見でのコメントは、いわゆる”wait and see”の姿勢。”期待しててよ!”なんてセリフは、
西から上ったお日様が東に沈むことでもない限り飛び出さないだろうから、いつものとおりの受け答えといえそう。
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この会見の一部はオンラインのラジオで聴くことができた。今までに5回ほど会見の音声を聴く機会があったのだが、
いつもいつもよく喋る! 今回も、実際に聴くことができた約10分間の時間の中で、おそらく9分20秒くらいは
ひとりで喋っていたんじゃないかな。質問者が女性の場合は、和みネタを絡めつつ、しっかりと(笑)を織り込むことも
忘れない。これを大会中の英語による会見でも披露できればおもしろいのだが、あの自信なげなボソボソ喋りも
味があって捨てがたいしなぁ。。。
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6/19(木)にロンドン到着。翌日の6/20(金)午前中は、ウィンブルドンの会場となるオール・イングランド・ローン・
テニスクラブで約1時間の初練習。そして午後は、ローハンプトンでロビー・ジネプリ(U.S.)と練習試合を
行った。結果としては1−6・4−6で負けてしまったものの、試合中にトライした内容については、パソスさんも
満足しているようだ。練習試合は6/21(土)にも予定されているので、出来るだけ色々とトライしながらも、良い
リズムと手ごたえを掴んでほしいもの。
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調整も最終段階へ。6/21(土)は、まず1時間の練習を行った後、ニコラス・キーファー(ドイツ)との練習試合に臨んだ。
この試合も6−3・3−6・9−7(Super Tie-break)で負けてしまったものの、約1時間半のゲームには手ごたえが
あったようだ。練習試合の後も1時間15分の練習を行い、計3時間45分のトレーニングを切り上げた。直前まで
ブラジルに留まっていたグガにとっては、現地の芝での練習時間はとても貴重なものだから、天候に恵まれて良かった。
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大会第1日目のスケジュールが決定し、グガはセンターコートの第3試合で登場することになった。第17シード
だというのに意外だ〜 早目に入れておけってことなのかしら?? 理由はどうであれ、初日のセンターコートの
美しい芝でプレーできるなんてラッキーなことなのだから、しっかりと奮起してもらいたい。
温故知新・ウィンブルドン編 Jun 17
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エクアドル詣での目的だったチャリティ・マッチを終えた後は即帰国。地元フロリアノポリスの
人工芝コートでウィンブルドン用の練習を開始した。練習は6/18(水)まで続けられ、同日ウィンブルドンへ
向け出発し、到着後は2000年同様にローハンプトンでエキシビション兼練習試合をこなして、いざ!本番という
スケジュール。前哨戦をスキップして本番に臨む方法については賛否両論が
あるだろうが、これも本番の結果次第だ。5回目の挑戦となる今年のウィンブルドンはいかに?!
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ウィンブルドン初挑戦の'97年は、「行きかう人々がみんな”(ローランギャロス優勝)おめでとう!”と祝福してくれるので、もう1000回も
”Thank you!”と言ったよ。」と語っていたとおり、ありがたくも大変な注目を浴びてのプレー。残念ながら強力
サーブのギメルシュトブにフルセットで敗れ、初戦突破はならなかったが、芝での可能性を感じさせるプレーを
みせてくれたと思う。そして何より、ウィンブルドンの緑の舞台に立つ姿に全く違和感がなかったのが印象的だった。この”雰囲気
に違和感がない”というのはとても大きいと思うのだ。
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前年のノッティンガムからオランダに前哨戦の場を移して挑戦した'98年は、グラス巧者のストルテンバーグに
ファイナルセットの8−10で敗れ、またも初戦突破はならず。この試合はスコア観戦のみだったが、後日のマッ
ケンローのコメントによると、なかなかの好プレーだったらしい。しかし、最後の最後で自分のサーブをぼろっと
落とすのは、その後もしばしばやらかしてしまう悪いパターン。自他共に認めるストローカーでありながら、
”良くも悪くもサーブ次第度”はサーブ&ボレーヤー並みなのである。。。
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前哨戦は重要とはいえ、大会中は練習用の芝コートの確保が難しいし、天候が不順で満足に練習が
できないという理由から、直前までフロリアノポリスに留まり調整するという新しい方法を選んだのが'99年。
この年は、1回戦で地元イギリスのウィルキンソンに当たるという幸運(?)に恵まれ、晴れてセンターコート・デビュー!
他力とはいえとても嬉しかったらしく、”インスパイアーされた”プレーで初のウィンブルドン白星を
挙げた。これはおめでとう!なのだが、センタコートに振られたおかげで、この日会場にいた私は指をくわえて
生プレーのお預け状態。おまけに、センターコートでのプレーがとっても嬉しいグガが、シャカシャカとゲームを進めてくれたもので、
”夕方になったらリセールチケットでセンターに入る可能性もあるかも?”という僅かな望みも無に帰した。頼む
からライブスコア観戦の時もそれくらいパッパと勝ってくれよ〜
今のところ自己最高の準々決勝進出を果たしたのも、この'99年。ドローに恵まれたともいわれたが、相手は
全てグラスでは曲者タイプだったし、堂々たるベスト8だったと思う。欲をいえば準々決勝のアガシ戦で
あと一押しがあればなぁと思ったが、これは'99年シーズンにはしばしばみられたことで、2000年への
大きな課題=”伸びしろ”となった。
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2度目のローランギャロス優勝の後に臨んだ2000年は、足の故障とカゼに悩まされるというトラブルもあり、
3回戦で終了。しかし、この大会で見納めとなった”白のウェアーにドレッドロック”はなかなか新鮮で
ありました。伸ばしっぱなしの時は膨らみっぱなしだが、編みこむと意外とコンパクトにまとまる
髪である。あと1回くらい披露してもらってもいいけどなぁ。。。
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