Gustavo "Guga" Kuerten/ぐがのみち 番外編・リスボンPart2

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受け継がれた”意志の力”

リスボンのチャンプとなったグスタボ・”グガ”・クエルテンが、ブラジルの国旗を身にまとい 皆の喝采を浴びるシーンをTVで観ながら、はっきりと思った。受け継ぐ覚悟ができたのだ...と。 翌日のブラジルの各サイトでも同じ思いが文章となっていた。「アイルトン・セナ亡きあと不在だった ”Idolo”が6年後にようやく現れた。」

アイルトン・セナは特別な存在だった。彼ほど形容するのが難しいスポーツ選手はいなかった。 それだからこそ興味は増し、知らず知らずのうちに魅了されたのだと思う。

セナは自分がたどり着きたい場所を正確に捉えていたし、自分がいる位置もわかっていた。そして そのふたつがいかに離れているか、そこまでの距離がいかに遠いかも知っていた。それでも、 なお目指す位置に到達する決意を固めた。それなら、いかにして到達するか? −−− 答えはない。周りのアドバイスも歴史的な教訓も自分の進む道にはあてはまりそうもない。 頼れるのは自分自身のみだ。しかし、同時に彼は自分自身の頼りなさも自覚していた。 それなら、どうするか?−−−自分を”開発”するしかない。

よく彼は複雑なパーソナリティの持ち主だといわれた。時として、厳格だったり、危うかったり、 暖かかったり、冷たかったり、温厚だったり、激しかったり...。人によっては、その複雑さが 理解できないと言う。しかし、何かをなし遂げようと本気で自己問答と自己開発を繰り返せば、 一見複雑なパーソナリティになるのは当然のことであり、一見複雑にみえても、ひとつひとつの 思いは本物だったと思う。そうでなければ、あれだけ大勢の人の心を捉えることはできなかった はずだ。

しかし、彼が人の心を捉えた一番大きな理由は、自分がドライビングで感じる思いや感覚を どうにかして皆に伝えようとしたことだと思う。自分はなぜ走るのか?その力はどこから 来るのか?−−−その答えを彼自身ははっきりとわかっていた。しかし、それを言葉で 伝えるのはまた別である。いかに多くの言葉や複雑な言葉を駆使しても (時として”神”を持ち出しても)、レーシングドライバーが体験する特殊な世界を 正確に伝えるのは不可能に近い。だが、その気持ちと努力は しっかりと伝わった。何かを”共有”しようとする意志が嬉しかった。

その点では、グガは恵まれている。別に努力しなくても、コート上の彼の思いは伝わってしま うのだ。表情や動きが逐一観察できるテニスという競技の特性にもよるかもしれないが、 全ての選手にあてはまるわけではないので、やはり彼のパーソナリティによるものなのだろう。 グガの表情や動きから伝わってくる思いと、コート上での結果、その後の彼の言葉と表情が 矛盾なく繋がる。時にはそれが矛盾することもあるが、そんな時には、注意して気にとめて いると、その矛盾の理由が明かされる。そうしていくうちに、とても”近い”存在に感じられて、 思わず肩入れしていまうのだ。

しかし、若さのためか、派手さを好まない性格のためか、これまではグガ本人がそのことに ある種の恐れを感じていたのではないかと思う。無理もない。人々の好意と応援は有り難い ものだが、結果が伴わない時には、辛いものでもある。それが”国民の期待”となれば ずっしりと両肩にのしかかってくるだろう。だから、”自分を信じてくれる人々” のためにプレーしていると語り、決して”ブラジルのため”と大風呂敷を広げることは なかった。

それが変わってきたのは、やはり今夏のオリンピックの頃だろうか。すったもんだの 末に実現したオリンピック出場。それは”ブラジルの人々のおかげ”と言い”皆のために 戦う”とはっきりと発言した。それは言葉だけではなく本物の思いだったと思う。残念ながら 期待されたメダルをとることはできなかったが、この頃から、覚悟が固まってきたのでは ないだろうか。それは確かに大きな責任を伴うものだ。しかし、誰もが望んでなれるもの ではない。ごく限られた資質を持つものだけの”特権”。

リスボンのマスターズ・カップで”世界No1”の称号を初めて手にしたグガは、ブラジル 国旗を手渡され、それを振りかざし、身にまとい、表彰を受けた。そして、インタビューや スピーチの内容からも、新しいブラジルの”Idolo”としての自覚がみてとれた。

ペレ・セナの後を継ぐものとしては、まだ若く、頼りないのは否めない。しかし、しっかりと 受け取ったのだ。先人の後を追うことはない。後は、自分の道を行けばいい。いや、自分の 道を行かねばならない。あなたは皆と”共にある”存在なのだから。決して、皆を置き去りに してはいけないよ。


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