推理・混合仏の謎

 

疑問  数体の石仏に混合仏があります。その理由は何でしょうか。また、先人が混合仏であると判断した根拠は何でしょうか。

・ 第30体A(釈迦仏と刻銘・阿弥陀如来の印相)
・ 第33体(頭は観音菩薩・首から下は阿弥陀如来)
・ 第59体(観音菩薩と阿弥陀如来)
・ 第86体(釈迦仏と刻銘・阿弥陀如来の印相)
・ 第92体(地蔵菩薩と観音菩薩)
・ 第96体(観音菩薩と阿弥陀如来)
・ 第102体(観音菩薩と阿弥陀如来)

 

推理 仏像に関する知識があいまいだったため、混合仏になってしまった。

混合仏と判断されている根拠は、刻銘と印相の違いや、特徴を示す姿(宝冠と印相)に違いがあることが指摘されています。第30体Aと第86体は、光背に刻んであったためにかえって混乱しています。また、阿弥陀如来特有の印相がはっきりしているため、首から上と首から下が異なっています。

混合仏ができてしまった理由ですが、私はつぎのように考えました。放牛上人が依頼した石工に、仏像に関する正しい知識がなかったのではないでしょうか。釈迦如来も阿弥陀如来もご本尊ですから、お寺の中にあったはずです。しかも江戸時代のことですから、毎日仏像の前で拝んだり、すぐそばに寄って観察することはできなかったはずです。私と同じように、仏像の知識がないために混乱が起きて、混合仏が造られたと思います。

放牛は石仏を依頼するとき、このような仏像にしてほしいと、紙に書いて渡したのかどうかはわかりません。それと同時に製作途中の石工を指導したとも思えません。広範囲にわたり、しかも数も多いからです。もし口頭で伝えたのなら、もっと混乱が起こっていたはずです。ところで地蔵菩薩には、ほとんど混乱がありません。以前から道端にあって、だれもが参拝していたのかもしれません。

混合仏であると判断した根拠については、「混合仏の考察」をご覧ください。これまでの研究者が何度も足を運び、石仏を詳しく観察し、混合仏であることを述べています。私は最初何のことか理解できませんでしたが、書物を読んでいるうちにある程度分かるようになりました。