Rooting for Guga

2006 Vol-1は2005年末〜2006年3月までの話題です。新年に向けて期待一杯!の思いが徐々に心配に移り変わった厳しい時間だったけれど、きっと明るい未来に繋がるはず!と信じて・・・
〜お知らせ〜
2006年は”応援坂”で〜
2005年末から2006年3月までの話題は、未公開ものを追加して「ぐがのみち 2006 Vol-1」としてまとめる予定だったけれど、故障がらみの話題で気持ちがアップ&ダウンして上手くまとまりませんでした。考えてみれば、今までの形にこだわる必要はないし、その時のその様子をそのまま残しておくのも悪くないかな・・・ということで、2006年はこの”応援板”のスタイルのままで残しておきます。

(画像は過去ログでは外すつもりだったけれど、通信社が使っているものは、著作権ホルダーか出所を明記した上で使わせてもらうことにしました。個人で撮られたものは持ち主の承諾なしに使用することはありません。)

2006年3月27日(月)
関節痛のお勉強
グガの広報を務めるジアナさんのプレスリリースによると、フィリポン医師のもとで受けている治療/処置は、ヒアルロン酸の注射とのこと。そして、数試合を戦うためにサーキットに戻るのはグガの目標ではなく、ローランギャロスのような大会でプレーするためだけに急ぐことはしない・・・という記述もあるようです。 本当のところはどうなのか、そして、何がベストなのかはわからないけれど、個人的にはとにかく治療重視の方向でいってほしいなぁ。

ヒアルロン酸と関節の因果関係については、こちらこちらなどで・・・。

2006年3月26日(日)
痛み止めしかないの?
おそらく現地で取材したと思われる最新の情報記事が出ました・・・・・けれど、良いニュースではありません。良いニュースではないからガセ扱いしたいところだけど、2004年の手術など故障に関する報道では常に先陣を切っており、記事の信憑性は高いと思われます。

グガはピッツバーグのフィリポン医師のクリニックからコロラドの回復センターに移ったそうだけど、”ローランギャロスでプレーできるタイミングでにコートに戻るために”コーチゾン注射を使うことを決断した・・・とあります。

コーチゾン注射はアンドレ・アガシも腰の痛み対策に使っているもの。治療ではなく痛み止めとして使われるもので、当然ながら身体のバランスにとって良いものではないでしょう。点滴すら受けたことがない私にとっては、腰に針を刺して10数分かけてコーチゾンを注入・・・なんて聞いただけで冷や汗〜 2004年秋に大きな手術を受けて、長い時間ケアを続けてきたのに、ここにきて頼りは痛み止めしかない状況なのかなぁ? それとも、苦渋の選択で大好きな大会を諦めてもう少し時間をかければ、また別の方法があるのだろうか?

グガがマイアミ欠場を発表した頃に、ブラジルのメディアに溢れていたいわゆるテニスの専門家によるアドバイスやらコメントやらの中で、思わず頷いてしまったのが、メリジェニらを育てたことで知られるマルセロ・マイヤー氏の”今は100%回復することが肝心、チャレンジはその次”というコメントでした。”彼の将来の健康が心配。このまま走り続ければ50歳になる頃には松葉杖が必要になるかもしれない”という心配は少しオーバーかなと思ったけれど、あながち心配し過ぎではないのかもしれません。

ファンとしては応援する気持ちは変わらないどころか、強くなるばかりだけど、こうなってくると”応援の方向性”が難しいですねぇ・・・・・。プロのスポーツ選手となったからにはある程度健康を犠牲にせざるを得ないけれど、元ブラジル・デ杯キャプテンのアシオリー氏がかつてコメントしていたように、”選手の身体より大事な試合や大会などない”のだから。

2006年3月24日(金)
治療と手術の範疇
3/23(木)付けのフロリアノポリス地元紙に”グスタボ・クエルテンがアメリカで再度手術を受け、母親のアリスさんが付き添っている”という一行記事が掲載され、う〜ん・・・・・。

確認がとれない事を記事にするサイトではないと思うけれど、事実だとしたら扱いが地味だし、他では全くニュースになっていないことから、更にう〜ん・・・・・と考えあぐねていたところ、3/24(金)になってオフィシャルサイトのguga.comの方に、引き続きフィリポン医師のクリニックでtratamento(治療又は処置)を受けていること、グミィ・コーチと共にアメリカに滞在中で経過は良好であること、しかし身体的に100%と感じられるまではアメリカに留まる予定なのでブラジルへ戻る日は未定であること・・・がお知らせとして掲載された。珍しくブラジル時間の早朝に、さほどニュース性がないお知らせがアップデートされたのは、前日の地元紙の記事への対応ではないかと思う。

他のスポーツでの話だけど、最近では”膝の手術を受け、全治3週間”なんてケースもあり、どこまでが治療/処置で、どこからが手術と呼ぶのかわからなくなっている。結局、現在のグガの状況に関してはわからないままだけど、”しばらく”以上の時間がかかるのかなぁ・・・という印象だ。

2006年3月20日(月)
それぞれが未来を目指して

グガは今週も、そして当分はピッツバーグのはず。相変らずブラジルのマスコミは手を変え品を変え騒いでいるけれど、落ち着いていきましょうや・・・。

それぞれ故障を抱えていた僚友たちのうち、メローとダニエルはマイアミの予選1回戦を無事突破したけれど、サレッタはまたも直前に欠場。腰と足の付け根の痛みという症状はグガの故障と同じようなものではないかなぁ・・・。お大事に!

次のデ杯戦には召集される可能性が高いダニエルは、マイアミに向かうまでパソスさんのアカデミーでトレーニングしていたようです。その記事を書いていたのがパソスさんの奥さんのカルラさん。そろそろスポーツレポーターとして仕事復帰なのかな?

アメリカで2週連続のマスターズ・シリーズが開催されるこの時期は、ブラジルでは国際ジュニア・シリーズの季節。先週のBanana Bowlと今週のCopa Gerdauの画像は、おなじみのPOA Press( http://www.poapress.com.br/ )でチェックできます。今年はギジェルモ・コリアの弟フェデリコ・マティアス・コリア君が参戦していて、先週は14歳以下で準優勝。お兄ちゃんを応援する姿にはあまり似てないかな?!という印象だったけれど、プレー姿はやっぱり兄弟!

2006年3月14日(火)
デ杯キャプテンの弁
「グガは大切な存在だ。リーダーであり他の選手たちからとても必要とされている。コートの中だけではなく、チームの雰囲気のうえでもね。」−−−と語るのはブラジル・デ杯キャプテンのメリジェニ。そして、下記のコメントもメリジェニのものだけど、”ブラジル人”という言葉を”ファン”に置き換えれば、そのまんま今の私の気持ちと同じ。

「彼が幸せに陽気にプレーするのをみたいよ。今、ブラジル人としての僕の任務は応援することだ。彼の問題は医学的なもので、そこにかかっている。」

2006年3月13日(月)
マイアミ&デ杯欠場
1年半前の腰の手術の執刀医であるフィリポン医師の診断結果とアドバイスを受けて、マスターズ・シリーズ・マイアミとデ杯対エクアドル戦を欠場することがオフィシャル・サイトのguga.comで発表されました。今後数週間はピッツバーグで腰のケアを続けるとのこと。

「以前のようにプレーできるまでカムバックするという目標を持ち続けるし、そのためにトレーニングして戦い続ける。今までにも多くの時間を要したし、より良いレベルに戻るまでにどのくらいかかるのかわからないけれど、今はこの課題(腰の具合を安定させること)に完全に集中する。なぜなら僕は復帰して高いレベルで競り合えるようになると信じているから。」

これはオフィシャルに掲載されていたコメントで、ほとんどの記事はここからの引用になっているけれど、独自にコメントをとったと思われる記事によると、(腰のケアに)必要とされる期間アメリカに留まること、テニスにカムバックできるチャンスがあるうちはいかなる犠牲もいとわないこと、医師からは回復の希望があると言われていること等を語っていたようで、もう、厳しいけれど、がんばろう!待ってるよ!としか言えないよ・・・。

今回の症状としては、”腰の安定性が不十分”と表現されており、これはプレシーズン中から目指していた足の関節の機能回復が十分なレベルに達していないということで、強い痛みがあるという事ではないと思います(・・・というよりも、少なくとも強い痛みからはもう解放されたと思いたい)。”回復の過程”でいえば最後のワンステップだけど、そこが肝心要の部分で、自分のテニスを支えるフットワークの瞬発力はその回復なしには得られないだけに、ここでもう一度根気を持って取り組むことにしたのだと考えます。

じっくりと落ち着いてケアに取り組むためにも、ブラジル・デ杯チームの僚友たちには頑張ってもわらなくてはらないけれど、腰の痛みを理由にアカプルコとインディアン・ウェルズを欠場したフラビオ・サレッタは、今週はアメリカのチャレンジャーに出場予定だったものの内転筋の炎症により欠場。エクアドル・チャレンジャーに挑戦予定だったリカルド・メローは肩の故障により欠場。今季7戦目のアカプルコでようやく初戦突破を果たし、その勢いでブラジル・オープン王者のマスーを破り、再度ブラジルNo.1の座を得たマルコス・ダニエルは、かかとの痛みによりインディアン・ウェルズ予選を断念・・・と、皆大変だ。やっぱり一度お祓いしてもらった方がいいんじゃ?

2006年3月10日(金)
個人的考察
ハッキリしない情報をもとに書くのもなぁ・・・と停滞気味だったこの2週間だけど、自分のHPに自分の気持ちを書くのは他人様に迷惑がかからない範囲ならOKよね!・・・と、少々やる気になったのは、心身ともに消耗が激しかった1週間が終わったから。週末っていいですねぇ〜

さてさて・・・、予想どおりグガの外野は騒々しくなっており、戦線復帰への自信がないのか?怖がっているのか?と揶揄する記事もあったけれど、私はそれが理由ならいいのになぁ・・・とすら考えてしまった。(←ホントにそれが理由なら、それはそれで困るけれど・・・)

現在のグガに自信がないのは間違いないと思うけれど、自信を得るには実際に試合で勝つしかなく、勝つためには連戦をこなしてリズムを掴むしかないことは誰よりもわかっているはず。それはプレシーズン中の彼自身のコメントからも明らか。だから、この数週間の間にやる気を失うような大きな出来事でも無い限りは、グガ自身が一番大会に出場してプレーすることを望んでいたと思うのだ。特に来月以降の当分はATPレベルの大会に出場するにはワイルドカードに頼るしかないため、エントリーが確定している大会は貴重。先々週のアカプルコ欠場は大事をとったと思えたけれど、実質2週間のインターバルがあったインディアン・ウェルズも欠場となると、出場したいのに出場できないコンディションだったと考えるのが当然だと思うし、そう考えると、ジタバタはしないぞと心しても心配が募る。

大会に出場できないコンディションに至らしめている原因に関しては、推測しかないので考えまいと思うけれど、願うとしたら、家族の健康などの心配ごとではありませんように!ということ、そして、腰の具合が長く激しいプレーを支えられる状態になりますように!・・・だな。

1年半前に手術した腰の回復状況と、回復を目指してのトレーニング内容に関しては、プレシーズン中からもいくつかの記事が出ており、十分な回復に至るにはかなり複雑な要素を解き放し&組み合わせていかねばならないのだなぁ・・・と腕組みしてしまったものだ。専門用語が多くてややこしいことと、関節や筋力がどうこうという話に興味がある方がいらっしゃるのか疑問だったため、”2005年を振り返る”でさらっと触れたのみだったけれど、リクエストがあればまとめてみます。

2006年3月7日(火)
インディアン・ウェルズ欠場
久しぶりに丸々1週間以上更新なしでした。色々と気になるので記事チェックには精を出しているものの、明るい話題は少ないし、ハッキリした情報はなかったし、私も体力的に少々しんどい時期だったため、意識的に更新しませんでした。

さきほど、guga.comの方にインディアン・ウェルズ欠場の発表が短く出ましたので、ようやくひとつハッキリとした情報・・・ということで久々の更新です。ホントはもっと楽しい話題で書きたいんですけどねぇ。

HPトップの「こぼれ話と更新情報」で書いたとおり、今の私の姿勢は”待つ!”。 今回の欠場で外野がまた騒々しくなるのは確実だし、本人のコンディションに問題があるのも明らかだけど、プレーに関するポジティブな話題が出せるまでは、待ちの姿勢でジタバタせずにやっていきたいと思います。

(更新停滞の間も、メールやメッセージフォームへの返信は無理なく続けることができていますので、そちらはご遠慮&ご心配なく。3日以上たっても何も返信がない場合は私の方で受信できていない可能性がありますので、お手数ですが再送をお願いします。)

2006年2月26日(日)A
デ杯対エクアドル戦は高地決戦
4/7〜のデ杯アメリカゾーン I 対エクアドル戦は、高度2,500mの街クエンカで開催されることが発表されました。アウェイのチームを高い所にご招待するのはエクアドルお得意の戦略で、サッカーではブラジル・ナショナルチームもやられております・・・。

土曜日にTVのインタビュー番組に出演したフェルナンド・メリジェニは、標高が高いとボールが飛びすぎるし、相手はそれに慣れているから難しい対戦になるけれど、メンバーを信じているし、現地での選手の様子をみてベストの選択をしなければならない・・・と語っていたようです。

ついでに、メリジェニのインタビューの中からグガの復帰戦に関するコメントを−−−

「(グガの復帰についてどう思うか?) 難しい復帰戦だった。6ヶ月間試合を戦わずに戻るのは難しいことだよ。トレーニングはトレーニングで試合はまた別のものだから。ブラジルの地で復帰するのは、そこでは皆が彼に大きな期待をかけているから、コート上でリズムを持って平静にリラックスするのは難しい。それは明らかなことで結果は嬉しくないものになった。しかしこれは過程だと思う。彼がトップ10に戻るには、3〜4大会でプレーしてリズムを掴み、コート上で良い感触を得ることが必要だ。」

「(ブラジル・オープンでの結果は復帰に影響を与えるか?) そうは思わない。今は彼の頭の中にはないだろう。彼は平静だし、ツアーに復帰できたことを喜んでいると思う。怪我には腹を立てていたけれど、彼には十分な経験があるから、道のりの途中にいくつか障害があることは当たり前だとわかっているよ。」

2006年2月26日(日)@
おまけネタ
ブラジル・オープン周辺の話題としてストリンガーさんの談話からいくつか・・・

ガット張りを依頼する時に最も気さくに喋っていくのがマルコス・ダニエルで、アンドレ・サもなかなかお喋りとのこと。アルゼンチンの若手フアン・モナコは必ず「ラケットは大事に扱ってね。このラケットで僕はチャンピョンになるんだから!」と語っていたそうで、可愛い〜

大部分の選手のテンションは55〜60ポンドだけど、フィリッポ・ヴォランドリは44ポンドで指定するし、予選中には80ポンドで指定した選手もいたとか。ちょうど取材中にダブルス戦を終えたグガとサがやって来て、グガは24Kgと26Kgで指定し(←縦と横で変えてという意味か?)、サは56ポンドだったそうで、ふたりは同じくらいのテンションで張っているということだけど、どうしてグガはキロ指定なの? (ちなみに私はいつも50ポンドだったけれど、特に根拠も執着もありません・・・)

ガット張り料金はATPで規定されていて、1件につき15ドル(ガットは選手の持ち込み)。本戦出場選手のほとんどは個別に支払うことはなく、賞金から引いてもらうそう。1日につき5〜6本張り替える選手もいれば、1日に1本の選手もおり、今年はグガも1本ペースだったとか。もともとラケットは3本しか持ってないしね。

2006年2月25日(土)
カーニバルから離れて
ブラジルは2/25(土)からカーニバルに突入。コスタ・ド・サィーペがあるサルバドールのカーニバルは有名だから、テニス会場の何倍も盛り上がっていることでしょう。来週の大会出場がなくなったグガはちょぴりカーニバルを楽しんだりするのかな?と思ったら、日曜日にブエノスアイレスに移動して月曜からマスターズ・シリーズへ向けてのトレーニングを始めるとのこと。(2/27追記:ブエノスアイレスに発つ前の土曜日の夜にしっかりとカーニバルを楽しんだようです!)

同僚のフラビオ・サレッタも腰の痛みを理由にアカプルコを欠場して地元でハードコート向けの調整に入るようだし、3月からチャレンジャー・シリーズを周るというリカルド・メローもサンパウロでトレーニングするので、来週に限っていえばブラジルに居た方が練習相手に恵まれるはずだけど、”雑音”から離れて冷静にトレーニングするために陣営が判断したのではないかなぁ・・・。

新たな怪我によりシーズンインが遅れたことに加えて、地元ブラジル・オープンでの結果と、また欠場が続いたことで、以前にも増して”引退か?”と騒がれるのは、ある程度仕方がないけれど、本人は言うべきことはすでに言っているし、結果が出るまでそれ以上に何も言えることはないだろうし・・・。

本人が実際に言ったこととして、ブラジル・オープン本戦前日の会見と練習時のコメントをふたつ−−−

「(引退か?と騒がれるのは)多くの選手と同様に長くサーキットに居ると言われること。例えば、サンプラスに対しても多くの人が疑問を持っていたけれど、彼はその後にグランドスラムのタイトルを獲ったし、アガシは止めるだろうといわれて10年たった今でもまだプレーしている。僕は気にならないよ。」

「手術からの回復に長い時間を要してきたから、2006年は決めるべき年になる。しかし僕は全てが確実に進んでいくという自信を持っている。でも何かを証明しようとしてプレーすることはない。子供の頃からラリ(・パソス)からも、家族が望んでいるからとか何かのためにプレーするんじゃないと教えられてきた。プレーすることが僕を満足させる。僕は競い合うのが好きなんだ。」

2006年2月24日(金)
アカプルコは欠場、ダブルス準決勝は真夜中決戦(2時過ぎに決着・・・)
日曜の会見ビデオで語っていた(と思った)とおり、やはりこの後はインディアン・ウェルズとマイアミに。来週のアカプルコは欠場することを発表しています。

今回の欠場理由は”怪我の痛み”からは一歩前進(?)して”身体的に準備が整っていない”こと。特に今回はワイルドカードによる出場予定だったため、良好なコンディションではない状態で招待(ワイルドカード)は受けられない・・・と、アカプルコの主催者には欠場の連絡と共に、ワイルドカードを出してくれたお礼と、それを受けられなかった謝罪と、来年はプレーしたいという希望を伝えているようです。

デ杯を含んで5週間の中南米クレーシリーズを連続で戦うことでリズムを掴みたかったけれど、シーズンイン直前の怪我で望んでいた連続出場が不可能となり、いまだ故障からの回復も完全ではないことから、ハードコート向けの調整期間を挟んだうえでマスターズシリーズ2戦に臨む方を選択したのだと思います。

さてさて、2/24(金)のダブルス準決勝は、シングルス準決勝2試合が大接戦だったため、日付が変わってからのスタートとなりましたね。真夜中だけどもう週末だし、地元のお客さんは残ってくれていたと思うけれど、4−6・6−3・6−10(Super Tie-break)の接戦でポーランド組に敗れて決勝進出はならず。残念でした〜

2006年2月23日(木)
ダブルスは準決勝へ〜
空き日となった水曜日は、トレーニングの合間にプールでのんびりしたりゴルフを楽しんだりしてリラックスに努め、2/23(木)のセンターコートのナイトマッチとして行われたダブルス準々決勝対チェルマーク/フリードル(チェコ)組戦は6−4・6−2で勝利! 1回戦と同じく出足は良くなかったようで、スコア上も先行されたものの、一旦追いついてからは大勢の地元観衆を味方につけたブラジル・ペアのペースになったようです。

大会公式サイトにはアンドレ君と一緒の会見ビデオがあがっているけれど、ふたりとも自分が喋っていない時の落ち着きのなさが目立つねぇ〜

シングルス初戦敗退でガッカリのグガにとっては、気分回復の勝利になっただろうけれど、嬉しいと同時にシングルスの試合を戦えないことに悔しさがある様子−−−「今日は(シングルス1回戦とは)全く違っていた。もし明日シングルスの準決勝があって、今日のようにプレーしたら、決勝へ行けるチャンスだってあっただろうに。」

珍しく覆水を盆に返そうというコメントだけど、それだけ悔しさが残っているのと、トレーニングではかなり手ごたえがあるんだろうな。

最後に・・・、大物ゲストとして今大会会場に登場したギレルモ・ビラスのコメントを−−−「グガは引退したりのんびりするために手術したわけではない。プレーを続けるためだ。」「彼は2度目の手術から復帰しようとしており、時間が必要なんだ。それに彼は誰に対しても何も証明する必要はない。」

2006年2月21日(火)
シングルスは白星発進ならず
2/21(火)・第2日目のシングルス1回戦は、6−3・3−6・4−6のスコアで逆転負けを喫し、2006年シーズンを気分よくスタートすることはできませんでした。

足首の状態については、前日までのコメントと変わらず、ちょっと痛みを感じだけれど問題になるようなものではなく、あと1セットだってプレーできたとのこと。トレーニングでは良い感触だったので、そのレベルのプレーができることを期待していたけれど、重要な局面で対応できなかったと悔やむが、それが試合だから・・・と自己完結。

白星発進はできなかったけれど、とにかく2006年をスタートさせたわけだし、後は残るダブルスを楽しんでプレーして、身体的コンディションに大きな問題がなければ、エントリーが確定している大会で粘っこくプレーして、大会出場機会を自分で作り出し&出場機会を貰いつつ実戦を積み重ねることで、リズムを取り戻すしかないね。

2006年2月20日(月)
ダブルスで白星発進
2/20(月)・第1日目にセンターコートで行われたダブルス戦は、4-6・6-4・10-6(Super Tie-break)で逆転勝ち! 序盤はエンジンがかからず押されてしまったけれど、アンドレ君とのパートナーシップと地元観衆の後押しで勝ち取ったようです。

「彼ら(オルナ&マスー)は第1セットを支配していた。でもそこからアンドレが乗ってきて、僕も付いていき、観衆のサポートと共に僕らは試合を勝ち取ることができた。」−−−と語るのはグガ。

「試合中に僕のパートナーが、もっと応援してくれる人々と一緒にプレーしようと言って観客を引き込んだんだ。それで僕は集中できた。」−−−こちらがアンドレ君談。

さあ、次はシングルスの初戦。「明るい方がいいし、もっと自分自身と自信を感じられる。」という理由から日中の試合を希望し、希望どおり現地時間16時(以降)スタートで組まれていますね。近視矯正手術を受けて今はコンタクトはしていないということだけど、それでも夜は見えにくいのかな?

2006年2月19日(日)A
事業主は忙しい
( photo from guga.com )

2/19(日)は記者会見の他にも、TV番組のインタビューもこなし、前日同様にメローをパートナーにトレーニングし、コスタ・ド・サィーペ内のグガ・ブランド店を訪問し、お客さんにサインするなどサービスに努めたようです。

シングルス1回戦の相手となるアンドレ・ゲムとは初対戦だけど、以前にパソスさんのアカデミーで一緒にプレシーズン・トレーニングを行った時の印象では、エラーも多いけれど非常にパワフルなショットを持っており、特にサーブが強力なので、しっかりとリターンすることが重要になる・・・とのこと。

その1回戦は当然ナイト・マッチになるかと思ったら、グガ自ら昼間にして欲しいとお願いしたようです。


2006年2月19日(日)
ダブルスからスタート
本戦前日の2/19(日)にはブラジル・オープンでは恒例の記者会見。その模様は大会公式サイトで10分x2編のビデオとしてアップされていますが、例によってよく喋ってますね。 聴き取れ〜ん・・・・・と半分挫折しながらも耳をダンボにしてみたところ、この後はインディアン・ウェルズとマイアミ・・・と語っているような気がするみたいな感じ?! アカプルコは大事をとって出ないのか、クレーの後はという意味だったのか、単に私が聞き逃しただけか・・・は、後日確認いたします。

記事の方をチェックすると、右足首の具合はプレーを妨げるものではないけれど、トレーニングの後には痛みを感じるようです。”100%に戻るのに何ヶ月か遅れる”というコメントもあり、大丈夫かなぁ〜?とまたも心配してしまうけれど、遅れてしまったシーズンインを何とか母国の大会で始めたいのでしょうね。(今日は会見コメントを訳す時間は無いので、これもまた後日・・・)

初日はアンドレ・サと組むダブルスに登場する予定。足のことだけ考えれば休んでいた方がいいんだろうけれど、まずは実戦モードに慣れて、火曜日のナイトマッチになるはずのシングルス1回戦に集中していきましょう〜

時間が無いと言いながらおまけネタをひとつ・・・。終盤戦に入ったトリノ・オリンピックのアルペンスキー競技にブラジル代表として出場していたニコライ・ヘンチ(Nikolai Hentsch)の尊敬する人物がグガらしいんですね。”テニス選手グスタボ・クエルテンのファン””アイドルはグスタボ・クエルテン””グスタボ・クエルテンを称賛”等と外国メディアのプロフィールにも書かれており、本当に好きなのねぇ〜と気になっていたところ、2001年に競技中のアクシデントにより膝の手術をし、2004年にはグガと同じような腰の手術を受けているらしいです。尊敬の念はその辺りの事情からも生まれているのかな・・・。

気になりながらも全然TVチェックできていなかったけれど、今日ようやく大回転での滑りをみることができました。素人がみてもトップレベルとの差は歴然だけど、テニス以上にブラジルではマイナー競技であろうスキーで名を挙げるべく頑張ってほしいな。”リオでグガと一緒にサッカーをしたことがあるのが自慢!”というのが可愛いではないですか〜

2006年2月18日(土)
ドロー決定

ブラジル・オープンのドローが決定し、グガのシングルス1回戦の相手はワイルドカード出場のアンドレ・ゲム(ブラジル・23歳)に。今年も大会公式サイトに抽選の模様を伝えるビデオが出てますが、相変らずのまったり&のんびり感の中で、グガの対戦が決まった時だけ妙に盛り上がっております。

母国の後輩相手の初戦は気分的に難しいだろうけれど、本戦ダイレクトインで唯一のランキング下位選手との対戦なのだから、それをいかさないとね。

今回はアンドレ・サと組んでダブルスにも出場。こちらの相手はデ杯で対戦したばかりのルイス・オルナ(ペルー)とニコラス・マスー(チリ)のペア。オルナはシングルスのドローでも近所にいますねぇ。

2/18(土)は、真昼の強い日差しの下でリカルド・メローと練習。日中の乾いたサーフェスはクレーとしてはかなり速めだけど、湿気が戻ってくる夜になるとちょっとスローになるらしい。今のグガにとっては速めの方が合っているようで、遅めのサーフェスには自分のゲームを適応しなければならないけれど、それは大丈夫・・・と語っています。

密かに楽しみの今大会用のスペシャル衣装は黄色ベースになるらしいです。ブラジル・オープンだから真っ黄黄になるのは当然だけど、久しぶりに青色ベースのウェアーもみたいなぁ〜という気も。


2006年2月17日(金)
練習ビデオ
2/17(金)夜のデル・ポトロとの練習の様子がTenisbr@silにアップされました。 トンテンカンテン・・・と突貫工事(?)の音がBGM。

http://www2.uol.com.br/tenisbrasil/videos/2006/guga.htm

1時間少々の練習で、左右に激しく走り回る場面は少なかったため、足首を気にする様子はなかったらしいけれど、時折疲れをみせており、腰にはサポーターが巻かれていたようです。

デ杯対ペルー戦の土日には足首に問題があるそぶりは全然見せていなかったらしく、僚友のサレッタやメリジェニはブエノスアイレス欠場の知らせに驚いたそうで、そこから欠場の原因は足首ではないのでは?・・・という憶測&心配が広がっていたけれど、身体の様子は本人しかわからないし、日によってコンディションも変わるだろうし・・・。

2度優勝、通算成績13勝2敗の地で、気分よく2006年シーズンをスタートできますように。

2006年2月16日(木)
金曜日に会場入り
2/17(金)午前中にブラジル・オープンの舞台となるコスタ・ド・サィーペに入る予定。

「僕の足首は十分に回復し、よく走ることができている。ブラジル・オープンでは必ずプレーするよ。」というコメントを信じて! (欲を言えば、”十分に”ではなく”完全に”回復していることを望むけど。)

2006年2月15日(水)
お務め
ブエノスアイレスでは欠場を決めた後も会場に留まり、練習コートで調整したり、トーナメント・ディレクターのマルティン・ヤイテと共にVIPに対応したり・・・と、お仕事を続けているようです。昨年9月の時点からワイルドカードを保証してくれた主催側への義理があるし、欠場でガッカリのファンも、練習する姿だけでもみられればちょっぴりは納得してくれるだろうしね。

ちょっと横道に逸れるけれど・・・、マルティン・ヤイテは元プロ選手で私も気にかけていた選手のひとり。スペインのジュニアNo.1として'82年のジュニアツアーで活躍した後、翌年にプロ転向する際に生まれ故郷であるアルゼンチンに帰化した。プロ転向後は中堅クラス以上には上がれなかったけれど、引退後も母国のテニス界発展に貢献し、特にトーナメント・ディレクターとしての能力は、ATPブエノスアイレス誘致に成功し、国の財政危機を乗り越えて開催を続けていることでも明らか。現在は11月のブエノスアイレス・チャレンジャーでもディクレターを務めている。

2/14(火)にそのマルティン・ヤイテと共に会見し欠場を発表したグガ。

「僕が恐れているのは・・・、今僕が引退したらブラジルのテニスは死んでしまう。人々の興味と関心を得るにはリーダーが必要で、トップに立つプレーヤーがいなければ、全て以前の状態に戻ってしまう。」−−−という会見の中のグガのコメントには、今まで十分に貢献してきたのだから、そこまで考えなくてもいいんじゃない?と思ったけれど、アルゼンチン・テニスの元気の良さを実感し、それに尽力している人物のひとりを隣にすると、意識として強く現われてくるのだろう。その思いが重荷になってはいけないけれど、常に貢献を考えている姿勢はファンとして嬉しい。

2006年2月14日(火)
いまだ始動できず
ブエノスアイレスは右足首の怪我が完治していないことを理由に欠場。2006年シーズンのスタートはまだ先となりました。

気になることが何点かあるけれど、こんな時には気にしても調べても心配が広がるだけだから、憶測と不安は封印して、じっと待つことにします。

2006年2月12日(日)
3−2で勝ち抜け!
デ杯対ペルー戦最終日は、サレッタがオルナに敗れたものの、メローがミランダを下し、ブラジルの3−2で終了!

今シーズンに入って1試合でも勝っているのはサレッタだけという心細い実績に、怪我まで加わって心配だったけれど、チーム総動員で頑張りました〜 勝ち抜けを決めた後のグガのコメントでも”チームとしてのまとまった力とメリジェニ・キャプテンの采配”を強調していました(コメント訳など諸々はまた後日・・・)。

土曜日にダブルスとはいえ4時間以上の試合を戦って、グガの足首の具合はどうなのだろう?と(まだ)心配だったけれど、貴重な1勝を熱戦の末に勝ち取ったことで俄然意欲が沸きあがったのか、必要ならば日曜日も第1試合でも第2試合でも(=相手がオルナでもミランダでも)出る!と申し出ていたらしいです。なんて判りやすい性格なんだ〜

ホッとしたのもつかの間で、グガとサレッタとメローはブエノスアイレスへ直行、サは北米のチャレンジャーに挑戦。それぞれ頑張って!・・・とは言えないドローになっちゃいましたが、みんな身体のケアには十分気をつけて!

2006年2月11日(土)
2-1でリード!
( left photo @Sergio Urday/EFE  right photo @Martin Mejia /AP )

デ杯対ペルー戦第2日目のダブルスは、4時間11分の熱戦の末に4-6・7-6 (8-6)・6-4・5-7・6-3で勝利! おめでと〜 

私はライブスコア観戦を試みたものの、山のように取られるブレークポイントにハラハラし、少ないながらもきっちりとモノにするサービスブレークで気合いを盛り返しながらも、第2セット中盤でブレークバックした直後にまたブレークを許した時点でスコア観戦を挫折してしまいました。グガは昨年9月以来の実戦だから最初は低調でも後で盛り返すかも? でも長くなったら足が苦しいかも? とグルグルと思案してしまったけれど、よかった!よかった!

「僕たちはとても重要なポイントを勝ち取ったよ。5セットマッチはちょっとしたポイントで決まってしまう。僕らはチーム全員の熱意と闘志と共にプレーした。これが決め手だ」 「久しぶりの試合だったから、良いプレーをするのは簡単なことではなかった。デ杯の試合で、それもアウェイ戦だったし。僕とアンドレはとてもよく理解し合っているし、この長い試合の間お互いに助け合った。彼はとてもよく助けてくれたよ。特に試合の序盤と終盤、つまりは5セットマッチのプレーにおいてね。」

フルセットの苦しい戦いになったのは、ペルー・チームがダブルスにもオルナを投入してきたことも要因だけど、4時間超の試合となったことで、日曜日のシングルス戦ではオルナもミランダも多少の疲れを抱えたままのプレーとなるはず。土曜日は応援席に回ったサレッタとメローはそこを突かなきゃ。

ダブルス戦後のアンドレ君のコメントは見つからなかったけれど、とても気合いが入った表情を映し出す画像の数々からも奮闘ぶりがうかがえます。お揃いで着込んだグガ・ブランドウェアーの着心地なども聞きたいんだけどね。

最後に・・・、短いビデオだけど、こちら↓のペルーのサイトで、ダブルス戦の最後のポイント=グガのバックハンドリターンをオルナが弾いて決着・・・をみることができますよ。(久しぶりに実戦の唸り声もひと声きけます!)

http://www.elcomercioperu.com.pe/ecvideos/macro/default.asp?cs=213&n=454449&pag=&tipo=

2006年2月10日(金)A
ダブルス
デ杯対ペルー戦初日は1−1のタイで終了。なんとか2勝をあげられないかと願っていたけれど、結果としては順当といえば順当かな・・・。2試合ともにストレートだけど、流れが変わりかねないポイントがたくさんあり、スコア以上に拮抗していた様子。流れが変わらなくて良かった!のサレッタと流れが変わらなくて残念!のメローには、土曜日はしっかりと休養していただきましょう。

1−1となって、さらに2日目のダブルスが肝心となりました。心配していても仕方ないから、がんばる!のだ〜

2006年2月10日(金)@
もとネタ
BBC等のメディアが”2006年末で引退説”を流していますが、その元となっているのは、↓こちらのペルーのサイトのインタビュー記事だと思われます。

http://www.trome.com/Tonline/Html/2006-02-10/Deporte0453769.html

掲載されたのが2/10(金)だったので、今ちょっと話題になっているけれど、この”インタビュー”は先週リマからAsiaに移動する際に、ペルーの記者グループと雑談形式で行われたものをまとめたものだと思います。全体的に気軽な受け答え(・・・といっても、スペイン語はポルトガル語以上に”暗号解読”になってしまうので、翻訳サイトで英語化したものを読んでの感想ですけど)で、”2006年末で引退説”の根拠となっているコメント=”2006年末になっても回復できないならばラケットを置く”も、特に目新しいコメントではなく、今までにも同じような趣旨のことは何度も語っているし、個人的には雑談以上の意味はないと感じました。

それでも、一部が翻訳されてタイトルに”引退”の文字が使われると、途端にニュース性をもってしまう・・・という点が、便利なネット時代の困った一面だと思います。

2006年2月9日(木)
がんばろ〜
2/9(木)になって組み合わせが決定。大方の予想どおり、グガは土曜日のダブルスに回り、NO.1シングルスにサレッタ、NO.2にメローという布陣で臨むことになりました。(↓はデ杯公式サイトからコピー&ペースト)

Day 1 10:00 hrs (1500 hrs GMT)
R1 - I.MIRANDA (PER) v F.SARETTA (BRA)
R2 - L.HORNA (PER) v R.MELLO (BRA)

Day 2 11:30hrs (1630 hrs GMT)
R3 - I.MIRANDA / M.SILVA=>changed to L.HORNA(PER) v G.KUERTEN / A.SA (BRA)

Day 3 10:00 hrs (1500 hrs GMT)
R4 - L.HORNA (PER) v F.SARETTA (BRA)
R5 - I.MIRANDA (PER) v R.MELLO (BRA)

「(この布陣は)チームとしてのベストだ。シーズン最初の試合の相手がオルナで、しかも5セットマッチとなると、最終結果を危うくするかもしれない。」・・・というグガのコメントは、かなり正直なものだと思います。責任から逃げてはいけないけれど、不安と不利な状況を冷静かつ正直に認めることも必要。ダブルスはシングルスとは違った”とっさの動き”を要求されるので、なおも心配は残るけれど、少なくとも金曜日に酷使されることはないし、3日連続のプレーはなくなったわけだし・・・。

チームとしてのベストの布陣が結果を出すには、とにかくサレッタによる先勝が必須!

2006年2月8日(水)
腰の方はOK
( photo @Eitan Abramovich/AFP )

今回のブラジル・デ杯チームの現地練習前半は非公開となったため、またもあれやこれやのコメントや情報が飛び交ったこの数日。記者たちも自分の目や耳で確認できないものだから、同じコメントからまったく違う見解が出てきて、日本の片隅でやきもき・・・。

”実際に目にした”という情報のひとつは、練習コート近くのコンドミニアムのベランダから撮影していたAFPのカメラマンのコメントで、2/7(火)の練習中に、おそらくは自分のコンディションに対するフラストレーションから、グガがラケットを叩きつけて、その後コートの隅でメリジェニとふたりで長い間話をしていた・・・というもの。

Getty Imagesにアップされている画像はその時のものだと思われます。グガがうつむいているのはラケットのフレームをチェックしているからだけど、うつむきたくなる心情ではあったのでしょう。グガはもちろん、メリジェニも信頼するにふさわしい仕事をする人なので、しっかりとした判断をしてくれると思うけれど、故障がからんでいると心配が尽きないんですよねぇ・・・。

やきもきしていると、足首以外にもどこか悪いのかしら?といらぬ心配までしてしまうのは私だけではなかったらしく、取材を受けた医師のティシェイラ氏のコメントが出ていました。−−−「腰の問題に関しては、グガは完全に回復している。」「(年明けにバルセロナのコトロ医師の検査を受けたのは)彼らのところには、この種の検査のための設備が整っているからだ。ブラジルにはまだない。検査が終わるとコトロ医師は私にeメールを送ってきて、全て順調だと保証してくれたよ。」

OK!の検査結果が出ていたのなら、もっと早く報告してよ。 

2006年2月5日(日)
”バックパッカーでもなく・・・

・・・サーファーでもなく、彼らはブラジルのデ杯チーム”と称されたお兄さんたちの”リーダー”は、レイバンのサングラスにサンダル姿という怪しさ(?)だけど、リマのホテルからAsiaへ向かう直前の取材では愛想良く答えていたようです。

チームの荷物の中にはサーフボードもあったらしく、”君のものかい?”と聞かれていたけれど、持ち込んだのはトレーナーらしいです。しかし借りる気は満々(?)−−−「(Asiaを発つまでには)サーフィンにいきたいけれど、足にちょっと怪我をしたばかりだから、今週はまだちょっとリスキーだね。」

この後、メリジェニ・キャプテンに促されて、Asia行きのバスに乗り込んだとのこと。
2006年2月4日(土)
いざ、ペルーへ
1/26(木)にデ杯チームが発表されてから、チームメンバー4人のうち3人が怪我をするという異常事態もあって、あれやこれやのコメントや情報が飛び交っていたけれど、2/4(土)にメンバー変更はないままペルーへ旅立ったようです。サンパウロからのフライトが2時間遅れになったものの、同日中にリマに到着して軽く練習し、翌日に対戦の地となるAsiaへ移動してチーム練習が本格的にスタートする予定。

今回の会場はスパなどを併設したリゾート施設内にあるそうなので、”温泉療法”もできるかも?! だけど、「怪我はブラジルに置いていく。この言葉は僕らと一緒に旅立たないよ。」・・・というのはメリジェニ・キャプテンの言葉。

グガにはグミィ・コーチの他に、トレーナーのサンガリ氏も同行しているようです。グガ本人のコメントによると足首の状態はOKで、「捻挫は問題にはならない。もしフィニーニョ(メリジェニ)が僕を選ぶならば、僕はプレーするよ。」とのこと。移動前日にはフロリアノポリスで夜の8時までグミィさんと共に練習しており、機嫌良く打っていたそうなので、大丈夫かな?!

私も出来ることを・・・と思って、お祓いはしなかったけれど、お参りに行ってきました。ついでに買った自分用のおみくじは”大吉”だったので、運気はよろしいはず。

2006年2月3日(金)
右も左も財政難
フロリアノポリス・チャレンジャーはお天気に恵まれて順調に進行中。ブラジル選手は準々決勝で消えてしまったけれど、それぞれ貴重なポイントと経験を得た様子。しかし、各選手のコメントをみると、それぞれがツアー資金の調達に苦労しているようです。

選手だけではなく、ブラジルテニス連盟も現在はメインスポンサーがない状態で、デ杯代表選手への出場フィーの支払いも滞っており、ようやく昨年7月のオランダ領アンティル戦用の50%が支給され、残り半分は対ペルー戦終了後に支払われるということです。グガのデ杯のお給料はInstituto Guga Kuertenとサンタカタリーナ州テニス連盟共同の地域プロジェクトの運営資金に充当されるそうなので、しっかりと払ってもらわないとね。

スポンサー難なのは元コーチのパソスさんも同じ。Banco do Brasilの撤退により、3月までに新しいスポンサーを見つけないと、現在75人の子供たちを対象に進めているチャリティ・プロジェクトが、40人以下にまで縮小を余儀なくされるそう。早く良い運営パートナーがみつかるといいけれど・・・。

パソスさんによると、ツアー資金の不足も選手が抱える問題ではあるけれど、それ以前の問題として最近のブラジルの若手選手は”MIC症候群”に蝕まれているそうで、それは何の頭文字か?というと、Mulher(女性)、Internet(インターネット)、Celular(携帯)。なにもブラジルの男の子に限った話じゃなさそうだけど、コート上で生きていくという真剣さに欠けているのが問題!とのこと。−−−「最近は3時間トレーニングしろと言われると、もう不平を言う。プロ選手ならば短くとも5時間のトレーニングを行い、それから2時間の身体づくりを毎日続けなくては。」

資金繰りには苦労しているものの、”パソス節”は健在のようでなによりです。

2006年2月1日(水)
不安そうだ・・・
1/31(火)にフロリアノポリス・チャレンジャーの会場へやって来たグガ。地元中の地元のファンにしっかりとサービスしていたようだし、右足首の捻挫は重症ではないことを語っているけれど、デ杯戦までに100%を望むのは到底無理の様子。捻挫の瞬間は”(痛さよりも?)怖かった”そうで、その気持ちはよ〜くわかるような気がする。きっと”やっちゃた・・・”という感じだったんだろうな。

「今からどのくらい回復できるかにかかっているけれど、少なくとも長期的に悩まされるような怪我ではないよ。急ぐことは出来ないし、ゆっくりと進めなければならないけれど、すでにトレーニングは再開している。これは良い兆候で、これから良くなってデ杯までに良いレベルに達することができるかもしれない。しかしデ杯戦は5セットマッチだ。今からやらねばならないテストがたくさんあるよ。しばらくは”再評価”の時間になる。」

「シーズンを前にしてとても幸せだったし自信もあったんだ。でも予期せぬことが起こってしまった。以前の感じを取り戻すには待たねばならない。決して急ぐことは出来ないよ。」

やはりシーズン・イン直前の怪我にはかなり落胆したのですねぇ・・・。焦るのは禁物とわかっているけれど、代表戦であるデ杯は迫っているし、やっちゃった怪我に腹も立つし・・・で、またも身体面と精神面の両方で大変そうだけど、怪我をするまでにやっていたトレーニングは今後にもしっかりと役に立つはず。”幸運は偽装してやって来る”とも言われるし、今の災いも将来の糧となるかもしれないしね。くれぐれも無理はしないように!

グガと同じく右足首を捻挫したアンドレ・サの方も、重症ではないと伝えられていたけれど、捻挫直後の写真をみるととっても痛そうですよ・・・(なので速攻で閉じちゃいました)。

2006年1月31日(火)
パパになってた
・・・といってもグガのことではありませんのでご安心を?!

昨年の12月30日にアンドレ・サ夫妻に女の子(カロリーナちゃん)が誕生したとのことです。おめでと〜!  出場を予定していた年初のサンパウロ・チャレンジャーを欠場したのは、出産予定日が重なったことと、ハードコートの大会に出場するよりもデ杯に備えてクレーで練習を重ねるためだったらしく、故障ではなかったらしいです。昨年痛めた右手首は今は100%OKとのこと。

しか〜し、フロリアノポリス・チャレンジャー1回戦の対シモーニ戦で第1セットを先取しながら右足首を捻挫して途中棄権。不幸中の幸いで彼の場合も酷い怪我ではなさそうで、デ杯には間に合うだろうということだけど、一回チーム全員でお祓いした方がいいかもね・・・。

2006年1月30日(月)
幼なじみ頑張る!
グガとサレッタの怪我により、新メンバー招集もあり?と思われたデ杯チームだけど、メリジェニによるとメンバーを変更する予定はないとのこと。

「エルナン(・グミィ)と話したけれど、怪我は軽症だということだ。グガはすぐにトレーニングに戻れるし、ペルー戦には間に合う。」

サレッタの方は、今週はビニャ・デル・マールに単複で出場しているので(ダブルスは初日に敗退)、腕の痛みは収まったのでしょう。初優勝の地であるデルレィ・ビーチに赴いたリカルド・メローはアガシに4−6・4−6で初戦敗退。アンドレ・サはフロリアノポリスのチャレンジャーに単複でエントリーしています。シングルス1回戦の相手はジリジリと頑張っているアレクサンドル・シモーニ。

チャレンジャー@フロリアノポリスのドローで個人的に注目!なのは、マルシオ・カールソンが予選を勝ち上がって本戦入りしたこと。カールソンはパソスさんの元教え子でグガの練習仲間だったけれど、故障が重なったことと、多分結婚し子供もできて経済的な理由もあってか2003年をもって引退しコーチへ転向していたはず。今回ワイルドカードをもらって予選に挑戦したのは、現役復帰というよりも、地元で初開催のチャレンジャーにご招待されたからだと思うけれど、ほぼ2年半ぶりのプレーで3戦を勝ち上がったのは立派!

2006年1月28日(土)
今回の新人さん

欠場の話題がトップにあるのもイヤなので、強引に追加。いやね・・・、年初のコトロ医師の診断結果に関して何もお知らせがないままで、加えてビニャ・デル・マールまで1週間を切っても特に情報がない状態に、ふつふつと心配の芽が頭をもたげていたんです。しかし、直前の練習を近くで見たというメリジェニがデ杯メンバーに加えた時点で、大丈夫なんだな、最近情報のアップデートが少ないのは、メインスポンサー様がいなくなって特にメディアに露出する必要がなかったからなのかな・・・と思い直し、さぁ、気合い入れるぞ!と思った途端の怪我の報だったので、結構気が抜けてしまいました。もちろん一番ガッカリは本人だろうから、今しばらくの我慢くらいはやってみせましょう。

そんなちょっぴり気分ダウンの時には、フレッシュな話題をひとつ。ブラジルのデ杯チームには毎回若手選手が練習生として参加しますが、2/10〜の対ペルー戦には、ジョアン・オラボ・ソウザ2世が起用されました。長い名前なので、記事には毎回”フェジョアン”というニックネームの方が使われています。直訳すると”豆ちゃん”というあだ名は、子供の頃から豆料理が大好きだったからとか(←捻り無しなのね・・・)。

オーストラリアン・オープンのジュニアでは2回戦敗退だったけれど、試合結果よりも初めての長距離遠征の経験を得られたことが大きく、その経験を今後に生かしたいということです。どんな経験か?というと、英語もスペイン語も喋れない豆ちゃんは、会場内でとても寂しかったそうで、このままではいけない!と痛感したのだそう。今年の5月で18歳の選手にしては初々しすぎないか?!

それはともかく、前デ杯キャプテンのアシオリー氏がコーチしていることや、今回の起用からも期待の選手であることは間違いなさそう。この年代のブラジル選手としては当然ながら、アイドルはグガだそうで、チーム練習で初めて会えるのが楽しみ!ということです。

毎回恒例の”新人いじめ”には気をつけてね〜

2006年1月27日(金)
ビニャ・デル・マール欠場・・・
残念ながら2006年のスタートは遅れることになりました・・・。原因は右足首の捻挫。木曜日の練習中に捻ってしまったそうで4日間の安静が必要とのこと。

「戦うために旅立つ準備が整った時にこんなことが起きるなんて残念だよ。1〜2週間前だったら問題にならなかったんだろうけれど。でも大切なことは全ての検査を受けて靭帯に損傷がないことがわかったことだ。」

とにかく残念!だけど、慢性的な故障のためではなかったことと、突発的な故障があまりひどい様子ではないことが救い。いまのところ欠場はビニャ・デル・マールだけの予定で、デ杯戦へ向けてのチーム練習から始動するとのこと。右足首は昨年のデ杯対ウルグアイ戦でも捻ったところだし、くせにならないようにしっかりと治療を!

そしてしっかりと治すことができたら、フロリアノポリスでは今週はジュニアの大会が行われているし、来週はチャレンジャー(今年が栄えある第1回!)が開催されるから、若くて元気がいい練習相手には事欠かないはず。

ちなみに今週のチャレンジャー@サンチャゴでは、フラビオ・サレッタはシングルス2回戦で上腕の筋肉を傷めて途中リタイア、アンドレ・サはシングルス初戦敗退。ふたりで組んだダブルスも初戦敗退。メンバーを発表したばかりのメリジェニ・デ杯キャプテンにとってはやきもきの時間が続きそう・・・。

2006年1月26日(木)
デ杯メンバー発表&インディアンウェルズ
予定どおりデ杯アメリカゾーン I 対ペルー戦のメンバーが発表されたけれど、フラビオ・サレッタ、リカルド・メロー、アンドレ・サ、グスタボ・クエルテンで変わりなし。現在ブラジルNo.2のマルコス・ダニエルのメンバー入りは、今シーズンの出足が悪いこともあってか見送られたようです。

デ杯戦で肝心のダブルスは、今回も”アンドレ君と誰か”の予定。普段から組んで不動のダブルス・ペアを作ってほしいんだけどねぇ。今週のサンチャゴ・チャレンジャーでは久々にサ・サレッタ組でエントリーしているので、君たち、頑張りたまえ!

今週はマスターズシリーズ・インディアンウェルズのエントリーが決定。ここで使わないと期限が切れるから当然とはいえ、グガは最後のランキング保護を使ってダイレクト・インしています。ただし、ハードコートのプレーに関しては、夏の北米シリーズからという陣営のコメントもあったので、実際に参戦するかどうかは中南米クレーシリーズでの成績と直前のコンディション次第かもしれません。 (2/3追記:マスターズシリーズ・マイアミのワイルドカードも保証されたそうなので、ヨーロッパ・クレーの前にふたつのマスターズシリーズに参戦するつもりなのでしょう。なにしろ勝てばポイントもデカイし!)

2006年1月24日(火)
デ杯も近づく
デ杯アメリカゾーン I 対ペルー戦(2/10〜)も近づいてきました。 開催地はペルーの首都リマから100Kmほど南のAsiaという街。先週ブラジルのデ杯チームのスタッフが施設の確認に訪れた際に、グガはチーム入りするのか? するんじゃない?! じゃあ客席を増やそう・・・といったやりとりがあったとかなかったとか?!だけど、正式なチームメンバーは1/26(木)にメリジェニ・デ杯キャプテンから発表される予定。

ビニャ・デル・マール(チリ)まで1週間を切ってのグガの状況に関しては、guga.comでは何もお知らせがないけれど、メリジェニの1/23付けのBlogに、”フロリアノポリスでグガとアンドレ・サのトレーニングに4日間参加して、サンパウロに戻ってきたよ”と書かれているので、先週はアンドレ君と一緒に頑張っていたのでしょう。アンドレ・サはサレッタやダニエルと同じく今週はサンチャゴ(チリ)のチャレンジャーに出場しています。頑張ってほしいけれど、今回のチャレンジャーは来週のビニャ・デル・マールへ向けてクレーの曲者&若武者たちが集結していてかなりの強力ドロー。

2006年1月22日(日)
「2005 Vol-6」に移行しました
いよいよグガの2006年シーズン開幕まで1週間となりましたので、2005年シーズン終盤の話題は「2005 Vol-6」にまとめました。このページでは掲載できなかったパソスさんのアカデミーでトレーニングした時のインタビュー抜粋や、グミィ・コーチのインタビュー等を追加しています。

今週はアカプルコのエントリーが決定し、グガはワイルドカード出場です。これで出場を表明していた大会は全てエントリーが整いました。

2006年1月18日(水)
”Dia Solidario”画像山盛り
チャリティ・イベント”Dia Solidario”の画像が、こちら↓のカメラマン氏のサイトにまとめてアップされました。

 http://www.marcocezar.com.br/ (トップページの”GUGA SOLIDARIO”をクリック!)

サイト内には昨年の同イベントの画像も掲載されています。トップページのメニューから「MURAL」を選び、左列中段の”DIA SOLIDARIO”をクリックすると200枚の画像をみることができます。単純に画像だけみる分には昨年版の方がおもしろい!です。

サインやツーショット撮影って、ひとつひとつは時間はかからないにしても、写真に撮られているだけでもこの人数なのだから、全てのリクエストに応えるのは大変だろうなぁ〜と思うけれど、本人は常にニコニコと対応していた様子ですね。

「MURAL」のページには、左列上部の”LOJA GUGA”にブランド発表会の画像がありますし、右列上部の”GOLDEN CAFE&CIA”にもGFとのツーショット画像があります。多分他のセクションにもあるかもしれないけれど、何しろ数が多いし、フリーズ病の我がPCではあまりクリックを多用できないので、他に見つけた方は是非ご一報をお願いします!

2006年1月17日(火)
2週間を切りました〜
先週のうちにバルセロナから戻って、1/14(土)にはInstituto Guga Kuertenのチャリティ・イベント”Dia Solidario”に陣頭参加。チャリティ基金を集めるためにサンドイッチ等の出店が並ぶこのイベントは今年で2回目。曇天だった昨年でさえ、次々と出てくる画像をみて、一体何枚サインして、何人から抱きつかれたの?!とビックリするくらいの大活躍ぶりだったので、サンサンのお天気に恵まれたらしい今年は、マダ〜ムからチビッコまで一気に引き受けて、”カリスマ売り子”として売り上げに貢献したことでしょう。

世の中は2006年グランドスラム第1戦オーストラリアン・オープンに突入しましたが、早いものでグガの第1戦まで2週間足らずとなりました。 気になっていたコトロ医師の検査に関しては結局何も発表がないので、何もなかったんだと思いたいものの、何もなかったら年明け早々に真冬のバルセロナまで飛んでいかないよなぁ・・・。もしかしたら、もともとシーズンが入る前に一度検査を受ける予定だったけれど、ナダルの故障回復が長引き、スペイン連盟のドクターでもあるコトロ氏としてはナダルを優先的に診なければならないし、1月初旬だったらナダルもバルセロナに来るので、まとめて診るにはちょうどいい・・・ってことだったのかもしれないな。

先週はブラジル・オープンのエントリーも出て、グガはランキング保護を使ってダイレクト・インしています。ランキング保護が使えるのは残り1戦。

2006年1月9日(月)
いろいろまとめて
=ナダルとのセッション@バルセロナ=
事前に報道されていたように、1/9(月)の午後にアンヘル・コトロ医師と両選手のコーチ&スタッフが見守る中行われたようです。記事の内容からはナダルの全豪参加は難しい様子。コンディションのチェックを兼ねた練習は、引き続き1/10(火)も行われる予定です。

ナダルとのトレーニングは多分これが3回目。初めての顔合わせはグガが最初の手術から復帰した2002年のマジョルカで、モヤの紹介で一緒に打ち合って、すでにしっかりとした身体つきだったので18歳くらいかと思ったら、練習後に15歳ときいてビックリ!だったそうだ。次の機会が2度目の手術から復帰した昨年のバレンシア・・・というのも不思議なめぐり合わせ。毎回トレーニングの合間の話題は身体的コンディションが中心だったんじゃないかな・・・。

=ジゼルとのツーショット画像=
GUGA@KUERTEN公式サイト(URL : http://www.gugakuerten.com.br/ )にも別バージョンが掲載されていました。ジゼルのご両親(?)とアリス・ママが仲良く笑顔の画像もあり、何も知らずに見たら親公認のカップル画像にみえないこともない?! サイト内には他にブランド発表会&パーティの画像も50枚以上に増えてました。Check these out!

=ブエノスアイレスはワイルドカード=
2006年第2戦のブエノスアイレスはワイルドカード出場。ブラジル勢で他にダイレクトインしたのはダニエルとサレッタだけど、ダイレクトインに名を連ねていたニコラス・ラペンティが肝炎で2〜3ヶ月の休養を余儀なくされるようなので、待機リスト1番手のメローも本戦ほぼ確定だ。自分が病気や故障で泣く泣く欠場することもあるので、メロー君には掴んだ運は上手に使ってほしいが、ニコラペの病気はランキングが戻ってきたところだっただけに残念ですねぇ・・・。

=ブラジルNo.1交代=
サンパウロ・チャレンジャーでフラビオ・サレッタが単複優勝を果たし、シングルスのエントリーランキングで久々にTOP100復帰。おめでと〜 このサンパウロ・チャレンジャーで目を引いたのは、表彰式でトロフィーと共に渡されたのが花束ではなく盆栽だったこと。

=スポンサー様、降板?=
2006年になって、公式サイトguga.comからBanco do Brasilのロゴが消えました。昨年12月時点でのマネージャーのコメントでは契約更新の可能性は高いという話だったけれど、結局更新されなかったのでしょうかねぇ? 一番大きなスポンサーだったから経費的に痛いのでは? その分ブランドで儲けるしかない?!

2006年1月6日(金)
ナダルのテスト
バルセロナでの検診結果はどうだったんだろう・・・

・・・と気になるけれど何もお知らせがないので、何か載っていないかとバルセロナの地元紙をチェックしたところ、左足の故障で全豪への参加がどうなるか?が注目されているラファエル・ナダルの記事に、”来週の月曜と火曜に、手術箇所のチェックのためバルセロナを訪れているグスタボ・クエルテンとトレーニングし、その結果で水曜日にメルボルンへ飛ぶか決める・・・”とありました。

ナダルは現在1時間のプレーしか出来ない状態のようなので、トレーニングというよりはテストという感じだろうけれど、相手を務めるお兄さんの方は大丈夫なんだろうねぇ??

2006年1月4日(水)
スーパーモデル様、ご来店〜
昨年末にジゼルがグガのブランドショップを訪問した様子が、彼女の公式サイト( http://www.giselebundchen.com.br/ )にアップされていました。 コンドミニアムを貸してもらったお礼を兼ねてなのか、何点かお買い上げになったらしいですよ。  ( 画像が見つからない方は・・・、トップページからメニューの「OUVI DIZER QUE...」にマウスを合わせ、「NOVIDADES」から”Gisele visita loja Guga Kuerten em Floripa”へ〜)

スーパーモデルとのツーショットは、身長は釣り合っていて意外とナイスです。背が高いというのは得だ。

ジゼルのお店訪問が12/28(水)の夜だったってことは、この日の午前中はパソスさんのアカデミーでトレーニングして、お昼にインタビューを受けて、夜までにフロリアノポリスにドライブして、翌日はまたカンボリューに戻った・・・ってことか。なかなか慌しい年末だったのですね。

2006年1月3日(火)
バルセロナへ〜
↓で書いたとおり、1/30(金)まではパソスさんのアカデミーでトレーニングを続け、1/31(土)にはフロリアノポリスへ戻ってトレーニングし、多分元旦はお休みしたと思うけれど、1/3(火)にはグミィさんと共にバルセロナに降り立ったようです。この1ヶ月は動きが多いわねぇ・・・。

バルセロナ出張の目的は、アンヘル・コトロ医師の検査を受けることと、バルセロナ近辺でトレーニングしている選手とセット形式のトレーニングを行うこと。スペイン勢&スペインを拠点としている選手の動向は追っていないので、誰がトレーニングの相手をしてくれるのかわからないけれど、有意義なセッションとなりますように。そして、ただの経過観察のための検査でありますように。それから、夏のブラジルから冬のバルセロナに移って風邪をひきませんよ〜に。

2006年1月2日(月)
閉じてこそ開かれる次の扉
年末のパソスさんのアカデミーにおけるトレーニングは1/30(金)迄続けられたようです。

「人生とは回るもの。人が何かを閉じるのは、何か素晴らしいことが起ころうとしているから。」・・・と語るのはパソスさん。”ドアを開ければ、そこには素晴らしいことが待っている”ではないところが含蓄を感じさせます。世の中には、終わらせることで、初めて始まることがありますからね。このコメントの後には、これからもアカデミーのドアは常に開かれており、グガはここに入るために靴の泥を落とす必要はない・・・という言葉が続いたようです。

”元生徒”の方は、そう言われるまでもなく、勝手知ったるアカデミー内を歩き回り、スタッフとお喋りしたり、キッチンでお昼のメニューを確認したりしていたようですけどね。どうやらこの二人も、一般的な”親離れ・子離れ”の精神的パターンに見事に当てはまっているようで、親離れの方がスムーズに進んでいた模様。今回の公式訪問はマスコミ対策かと思ったけれど、パソスさんの気持ちを改めて落ち着かせる効果があったようで、マスコミの取材がそれを手助けしたという部分もあったように感じました。

(地元紙のインタビュー抜粋は「ぐがのみち 2005 Vol-6」で!)

2006年1月1日(日)
2006年もよろしくお願いします!
2006年あけましておめでとうございます。グガの2006年第1戦はあと1ヶ月ほど先になりますが、2006年のテニスシーズンはもうスタートですね〜 

このページは昨年と同様の形式でやっていこうと思っています。昨年中にメールやメッセージフォームから感想を送っていただいた方々には感謝申し上げます。”かべ打ち”を続けるのもそれはそれで楽しいけれど、ネットを挟んで打ち合った方がうんと楽しいように、やはり何か反応があると嬉しいし、それが励みになります。今シーズンもよろしくお願いいたします。

2005年12月30日(金)
Retrospectiva 2005 F テニスをプレーしたい
( photo from profotto )

ブラジルの記事をもとにHPを更新する時には、毎度強引に暗号解読的日本語訳を実行します。もちろんできる限り気をつけてはいるものの、気づかぬままの間違いがたくさんあると思います。(←機会があるごとに弁解していることだけど、もう一度記させてください。)

大きな誤訳を避けるには、ひとつひとつの単語の意味を繋げていくという方法があるれど、言葉が明瞭でも意味が曖昧だと何にもならないので、”こういうことを言ってるんだ!”と自分で納得できないものはお蔵入りとなります。特にコメント訳の場合は談話の主が伝えたいことはこれだ!と思えるまでは書かないけれど、自分が間違った意味で納得した場合には大きく外すというリスクもあるんですよね・・・。

今シーズン中の様々なコメントの中で、しばらく自分の中で納得できる意味を掴めず、書くことができなかったのが、「グガの目標」に関する新コーチのグミィさんのコメントでした。どんな傾向のコメントをする人なのかまだわからないという理由もあったけれど、振り返ってみると、おそらくグミィさん本人も当初(6月頃)は「グガの目標」に関して100%納得できていなかったのではないかと思います。

「グガの目標」は復帰当初から徹底していて、”痛みから解放されて快適にプレーすること”。最近はさらにシンプルになって、”テニスをプレーしたい”。自分のテニスがプレーできれば結果は付いてくるという自信があるからこその実直な目標だけど、この目標に関していち早く後押しする姿勢をみせたのがフェルナンド・メリジェニで、彼のコメント−−−「皆、彼と彼が今行っている努力がどういうものかを理解する知性を持たねばならないよ。グガのこのスポーツ(テニス)に対する敬意に目を向けなくては。」(「2005 Vol-2」)−−−には私自身とても考えさせられるものがありました。

南米選手初の年度末世界ランキングNo.1、ATPシングルスタイトル20勝、ローランギャロス3度制覇・・・。これはキャリアとしては十分に輝かしいもので、特に同じ時代を戦った元選手にとっては、十分以上に十分なキャリアだと思うはず。だからこそ再度の手術という手段を経て復帰するには、もっと強い動機づけが必要だと考えるのも当然で、”再度No.1になりたい”とか”USオープンに勝ちたい”といった目標の方がストレートに受け入れられたのではないかと思います。

しかし、7月〜8月にかけてじっくりとトレーニングと話し合いを重ねていくうちに、お互いの考え方にも理解が深まり、グミィさんも”テニスをプレーしたい”というグガの気持ちが本物であると確信したのでしょう。8月以降のグミィさんのコメントはとても明解で(「2005 Vol-5」)、マスコミと話す機会があるごとに「目標」を挙げ、アルゼンチンのプレスに対しても語っているようです。ちょっと微笑ましいですね〜


いきなり話の舞台が変わりますが、2003年のUSオープン会場でちょっといいシーンがありました。フラビオ・サレッタ対ニコラス・ラペンティという南米対決の場は10番コートで、決して大きいとはいえないスタンドはすぐに満員になり、並ぶ観客をできるだけ入場させたい係員は、ベンチスタイルの観客席のスペースを詰めてほしいと呼びかけます。しかし一旦自分の席をみつけて座ってしまうと落ち着いてしまうものでなかなかスペースは空きません。そんな時にひとりの係員が大きなはっきりとした声で言いました、「みんなテニスが観たいんです。協力してください。」

このひと言はシンプルかつパワフルなリクエストとなり、ごそごそと皆が少しずつ間を詰めることで、並んでいたお客さんのための席ができたのでした。


早いもので2005年も残すはあと1日。来る2006年シーズンに個人的に期待することはたくさんあるけれど、何よりも、”テニスをプレーしたい”選手が思い切りプレーできて、”テニスを観たい”観客が(現地であれTVであれ)楽しく観戦できるテニスシーンになることを願っています。

それでは・・・、皆さま良いお年をお迎えください!

2005年12月29日(木)
Retrospectiva 2005 E 自律
どう捉えるかによって物事は様々な側面をみせるけれど、グガの2005年がとても厳しいシーズンであったことは間違いないですね。ポイントがかかる公式戦の成績は3勝9敗(うち1リタイア)、デ杯を加えても7勝10敗(うち2リタイア)。

「トーナメントが始まり、今は勝つ可能性よりも負ける可能性の方が高いということがわかっている。これは最近のシーズンではなかったことで、そんなこと全てをコントロールするのは微妙で難しいことなんだ。例えば毎日コートに出て行って、自分がまだ100%ではないことや、決意に満ちたプレーやとても良いプレーをしても勝つことができないということを自分で納得できなかったりする。」

これは本人がオフシーズンのトレーニング中に今シーズンを振り返って語ったコメントの一部。やはり周りの目やマスコミの評価よりも何よりも、自分自身を納得させて落ち着いて復帰の過程を進むことが一番難しいのだな。普段から自分がどう見られるかにはあまり関心がなく、自分の基準というものをしっかりと持っていそうですものね。約5ヶ月という短いシーズンだったけれど、その間には何度も自分との戦いを強いられたのでしょう。

思い入れがある大会、目標としていた大会の場合はさらに難しかったはず。その意味では今年のローランギャロス1回戦は最も自分を制御する力を必要とした試合だったと思います。この試合に関する観想は観戦記に書いたとおりで、身体的にも精神的にも難しいコンディションにありながら、終始態度はしっかりとしていたし、観ている側としては納得できました。もちろん試合の結果自体は残念で寂しくもありましたけれどね・・・。

今年のローランギャロス1回戦が行われたのが5月24日。これはお父さんの命日なんですよね。亡き家族に対する個人的な思いについて勝手に推測することは許されないけれど、一般的に考えてもその一日が始まる時には思いを馳せるだろうし、改めて誇りに思われるような行動を志すだろうし、恥ずかしいことはできないと気持ちが引き締まるはず。それがちょっぴり力を与えてくれたかもしれないな・・・と思います。

2005年12月29日(木)
長男の帰省
”パソスさんのアカデミーを公式訪問”はマスコミに騒がれないためにも良いタイミング・・・と思っていたら、地元では意外と話題になっちゃっているようです。クリスマスから年末年始という世間に動きがない時期とはいえ、地元紙の一面には写真がど〜ん!と。

↓こちらのページ下方のスピーカーマークから、約15分のグガ・インタビュー音声をきくことができます。あいかわらず短い質問に対して一人で喋り続けておりますが、”2006年の目標としてランキング50位をあげているけれど、いつ頃達成できそう?”という質問に対してだけは、「年末だよ、年末。」とやけに短い答えで終わっているのが、なんとなく可笑しい。

http://www.clicrbs.com.br/clicesportes/jsp/default.jsp?tab=00003&newsID=a1044312.htm&subTab
=00012&uf=2&local=18&l=&template=

記事を読んでみると、グガ訪問はまるで年末に息子が帰省してきたようなもので、いつもエモーショナルなパソスさんの目には涙だったそうです。記事やインタビューは、できれば年明けに強引翻訳してみますが、ひとつ”へぇ〜!”だったのが、グミィさんはジュニア時代にブラジルに遠征した時に、パソスさんの家に数日泊めてもらったことがあるってこと。グガがパソスさんに師事する以前のことみたいだけど、人の縁って繋がっているものなのですねぇ〜


2005年12月28日(水)
Retrospectiva 2005 D コーチのまなざし
( photo from DC )

2005年を振り返るためには”卒業”と共に”入学”も取り上げなくてはなりません。3月にパソス塾を離れたことを発表してから2ヵ月後にはグミィ塾に体験入学(?)。そして、あまりに手がかかってしまうせい?!か、それから2ヶ月後にはほとんど専任状態となりました。

私がグミィさんとの練習風景を初めてみることができたのが、ちょうど”試行期間中”のハンブルグ。なによりも一番印象的だったのが、じ〜〜〜っと生徒を見つめるその眼差し。コーチとしての力量についてはまだ未知数の部分があったけれど、その眼差しだけで「よろしくお願いします!」(←初めて子供を合宿に送り届けるお母さんの心境の十分の一・・・)

「サーキットやエキシビションで見かける彼(グガ)は、いつも誰に対しても敬意を持って接していた。今シーズンになってグガがツアーに復帰してから再び顔を合わせ、話しをし、試しに数週間を経て、ふたり共に一緒に働きたいと思ったんだ。」−−−と語るのはグミィさん。このコメントから察すると、今シーズン以前は普通のツアー仲間という感じで特に交流はなかったようですね。だからこそお互いに相性を確認するうえでも試行期間を設けたのでしょう。

普通なら、試しにやってみようという時期には、どうしてもちょっと”よそ行きの自分”になってしまうものだけど、ハンブルグでのグガは、練習中はとことん落ち込むし、試合(2回戦)ではダメダメ君まっしぐら〜だったし、正直にも程があるっ!という有様だったけれど、それでもちゃんと面倒をみてくれるグミィさんの様子に、「ありがとうございます!」(←特別補習を快諾してくださった先生に感謝一杯のお母さんの心境の十分の一・・・)

結局、無事に(かどうかはわからないけれど)試行期間を終え、正式に2005年末までのコーチ契約を結び、2006年も延長されそうな雰囲気(すでに延長済みなかもしれません)。いちファンに戻って冷静に考えても、パソスさんから独立の報には激励の気持ちと共に不安一杯だっただけに、短期間で新しい体制が整ったのは何よりの安心材料です。

とはいえ、2006年は新体制の成果が求められるシーズン。現在は順調にみえるパートナーシップも、試合の結果によっては厳しい状況に陥ることもあるだろうけれど、きっとプロフェッショナルらしい仕事で乗り切ってくれるのではないかと期待しています。

2005年12月27日(火)
たのもう〜
短いクリスマス休み明けの2005年最終週のトレーニングは、グミィさんやトレーナーと共にパソスさんのアカデミーに乗り込んでスタートしたようです。フロリアノポリスの拠点よりもパソスさんのアカデミーの方が施設は充実しているだろうし、意気込み十分の若手選手たちもいるし、今年の締めとしては充実したトレーニングが出来るのではないでしょうか。

それに、プライベートではやり取りが続いているだろうにしろ、一度くらいは公式訪問しておかないと、マスコミの詮索があるかもしれないので、実に絶妙なタイミングの共同トレーニングだと思います。

グガの2006年第1戦のビニャ・デル・マールまではあと1ヶ月あるけれど、開幕戦からスタートする選手たちはそろそろ現地に集結だろうから、じわじわと2006年シーズンに向けて雰囲気が盛り上がってくる頃ですね〜

そうそう・・・、ビニャ・デル・マールにはランキング保護(30位)をつかってダイレクト・インしています。これで保護が使えるのは残り2戦。

2005年12月27日(火)
Retrospectiva 2005 C 首が痛い
故障からの回復には時間がかかることは百も承知だったから、2005年シーズン中にまだ足腰が痛むというコメントが出ても、ある程度落ち着いて見聞きすることができたけれど、7月のシュツットガルトから始まった首の痛み発言には、”まずいよ〜!”と頭の中で赤信号がクルクルと回ってしまいました。どんな競技の、どんな故障であっても、一番怖いのが元々の故障とは違った箇所が痛み始めること。ここから故障の連鎖にはまり込んでしまう競技者が何人いたことか・・・。

USオープン直前まで痛んでいたという首は、デ杯対ウルグアイ戦以降には話題になっておらず、大丈夫なんだと思いたいものの、きっとこれからもずっと注意しなければならない部分であり、もちろんチームも細心の注意を払っているようです。

10月中旬から始まったオフシーズンのトレーニングからは、理学療法士の役目がマリアンジェラ・リマさんからアレハンドロ・レスニコフ氏にバトンタッチされた模様。レスニコフ氏はアルゼンチン人だけど、拠点はサンタ・カタリーナ州にあるようです。また医師として手術の立会いから検診を続けているテイシェイラ氏の他に、スペイン人のアンヘル・コトロ氏も加わったという記事に、どんな人?と検索したところ、スペイン・デ杯チームのドクターであり、カルロス・モヤが肩を痛めた時の担当医師だったようです。USオープンで一緒に練習した際にモヤから紹介してもらったのかもしれませんね。

故障や痛みは一番気になることだから、手術直後からの動きや医師のコメント等はチェックしてきたけれど、振り返って言えるのは、手術自体が当初言われていたよりも重大だったということで、手術の内容を考えると今後の回復に関して楽観的にはなれないという専門家もいるようです。ちなみにその専門家とは先日日本で開催された世界(サッカー)クラブ選手権で優勝したサンパウロのトレーナーだけど、彼もその見通しが覆されることを期待して応援しているということです。

もちろん反対に、まだまだ回復して進歩できると語る医療関係者もいるので、いちファンとしては、楽観的にはなれないけれど、悲観的になる必要もなく、周りにいる関係者が揃って”本人はとてもやる気に満ちている”と語っていることを喜びにして、明るい未来を信じて応援するしかないな!

2005年12月26日(月)
Retrospectiva 2005 B 国の代表
( photo from tenisbr@sil )

2005年シーズンは2年ぶりにデ杯戦に登場。グガ個人のデ杯通算勝利は33勝(15敗)となり、カルロス・キルメイヤーが持つ34勝(22敗)にもう一歩と迫りました。もっとも、キルメイヤーがブラジルNo.1記録保持者というわけではなく、1位にはトーマス・コーチの74勝(44敗)、2位にはジョセ・エジソン・マンダリーノの68勝(42敗)という偉大な記録があるけれど、テニス界の場合はオープン化以前の記録は別格ですからね。

33勝というデ杯勝利数はなかなかのもので、現役選手の中では多分トップ5には入っていると思います。しか〜し、とても身近なところに49勝(29敗)という稼ぎ頭がおりまして、それは誰かというと、ジュニア時代からの友人ニコラス・ラペンティ。彼の場合は1993年からエクアドル代表として戦っておりデ杯戦では大ベテラン。2006年のアメリカゾーン I ではそのエクアドルがシード国として待ち構えているので、まずは強敵ペルーを撃破して、久々の友人対決を!

2005年のブラジル・デ杯チームは、チームとしてのまとまりをみせていたと伝えられています。これはフェルナンド・メリジェニのキャプテン就任も大きかったのではないかと思いますね。メリジェニは以前からグガの人をみる目とセンスを買っていたようで、それをもっと前面に出して行動してほしいという要望があったようです。しかし、無理強いするわけにもいかず、これまではじれったい思いもあったようだけど、デ杯キャプテン就任で晴れて(?)”業務命令”が出せる立場となり、”チームのリーダーたれ!”という発言が目立ちました。そう言われても、あまり”リーダー”という感じじゃないですけどねぇ〜 でも、何事につけても独自路線を歩んできた人だから、そのうちにグガ的リーダー像が垣間見えるかもしれません。

業務命令を出しっぱなしではならじとばかりに、メリジェニ・キャプテンはオフシーズンのトレーニングにもマメに足を運んで、各選手の状況をチェックしているようです。フロリアノポリスにも何度かやってきたらしいけれど、これはグミィさんがコーチになったことも大きいのではないでしょうかね。ふたりは共にブエノスアイレス生まれで年齢もひとつしか違わないから、きっとジュニア時代には一緒のチームだっただろうし(注:メリジェニはジュニア時代はアルゼンチン国籍でプレーし、後にブラジルに帰化)、プロ転向後も仲が良かったようなので、気軽に訪問できるのでしょう。

2005年12月25日(日)
Retrospectiva 2005 A 通年モップ
( photo from GUGA@KUERTEN I
テニス選手としてはどうでもいいことだけど、ファンは結構気になるグガの髪。今シーズンは実質5ヶ月ちょっとという短さだったこともあり、思えば久々にシーズン中のバッサリ短髪がなかったですね。 まぁ、昨シーズンは衝撃(?)のツルツルがありましたから、本人もしばらくは長髪モードだったのでしょうかね?

1997年は、ローランギャロスで定着したバンダナ&長髪のイメージのままで過ごし、1998年全豪前に当時としては”切ったなぁ〜!”という短めスタイルを披露しました。この時期は常に注目を浴びる状態に疲れを感じていたらしく、人の目を逃れるための散髪だったけれど、それも慣れられたら効果がなく、ローランギャロスの時期には鉢巻きが必要な長さに戻ったし、その後も伸ばしっぱなしで、1999年北米スーパー9(現在のマスターズシリーズ)インディアンウェルズあたりでは束ね髪になるほど伸びました。多分この時期が今までで一番の長髪だったのではないかな。

しかしヨーロッパクレーに移ってから一時休養を余儀なくされ、”他に何もすることがなかったから”とバッサリ散髪。そしてモンテカルロでスーパー9初優勝を果たした記念に更に短く刈り込み金髪に(ついでにパソスさんの残り少ない髪もブロンドになりました!)。その後はそのまんまで伸びていき、1999年シーズン中はうまい具合にメッシュ髪になってましたね。

2000年に入ってもそのまま伸び続け、ウィンブルドン前にはついにドレットロックに! 似合っていたのかどうなのかは微妙なところで、その後のデ杯SFでは編み込みを解いたモシャモシャ髪になりました。モップ度最高潮〜

モップ髪はそのまま続き、2000年秋の有明では、本人いわくの”おすもうさん”スタイルを披露しましたが、マスターズ・パリ前に思い切り短髪になり、リスボンでマスターズカップ制覇! それでも翌年2001年のローランギャロスでは鉢巻き復活だったのだから、改めて伸びが早〜い!を実感です。

2001年はマスターズカップ前にちょっぴり短めに整えてみたけれど、あまり気分転換にはならなかったみたいで、元気がない表情と戦績が続き、2002年2月に最初の手術・欠場を強いられることになりました。4月に早々と復帰を果たした時には鉢巻きも一緒に復活だったけれど、7月にまたも超短髪になったうえにヘナシャンプーで地道に染まり、お猿さん度が最高潮〜 それでもシーズン末のエキシビションでは、すでに髪が巻き始めてましたけどね。

2003年シーズンは水色鉢巻きに長めの髪が続いたものの、USオープン前に(多分)気分転換散髪。ちょうどこの頃から真っ白の無印ウェアーになったので、ヴィジュアル的には地味めの時期でした。

2004年に入ると長髪姿に戻ったものの、インフルエンザ明けのブラジル・オープンでツルツルのお坊さんスタイルに!本人も鏡をみてギョッとしたという姿には皆もビックリだったけれど、地元優勝が果たせたのだから、仕事の結果としては大成功の変身でした。今後もタイトルと引き換えならやぶさかでない・・・かな?? その後の変身は自然成長と9月のエキシビションでオレンジ髪になったくらいだけど、一度ゼロ(=ツルツル)になると、1年間でどれくらい伸びるのかがよくわかっておもしろかったですね。

2005年の欠場明けに登場した時にはオレンジ色は抜けていて、後はひたすら伸びるのみ。ローランギャロス前にはちょっぴり段カットという珍しい小技があったけれど、その後もひたすら伸びていき、オフシーズンのトレーニング開始を機にようやく散髪・・・と思っていたけれど、これはブランド発表&VOGUE登場用のヘアーカットだったのかな?!

おっと、長くなってしまったぞ〜 よく覚えてるな、私?!

2005年12月24日(土)
Retrospectiva 2005 @ 親離れ
2005年末まで7回にわたって”2005年シーズンを振り返る”をお送りします。第1回目はやはりこれから・・・

グガがパソスさんとのコーチ契約を解消するというプレスリリースを出したのが今年の3/14。最近は時の流れが早くて、何事につけても”もう1年たったの?”とビックリするけれど、この話題に関しては、逆に”まだ1年も経ってないんだ?”とビックリします。それだけその後のグガがしっかりと”卒業”して、素早く新しい体制を整えることができたということですね。

2度目の手術・欠場から復帰しようとしていた難しい時期の思い切った決断だったけれど、今思えば”今しかない”というタイミングでもあったのでしょう。グガが表舞台に登場して以来、特に2002年の最初の手術以降は、グガの成績がふるわない時のブラジルのマスコミの矛先は、本人よりもコーチのパソスさんに向けられることが多かったように感じます。当時の重要な決断は主にパソスさんが下してきたらしいので、それも仕方がないこととはいえ、グガ本人にとっては落ち着かない状態だったのではないかと思います。自分の敗戦で自分が非難される分には、悔しくはあってもどこかで納得はできるだろうけれど・・・。だから、苦戦が必至の今シーズンに挑戦しようとした時に、自分の判断と自分の責任でやっていくことを決断したんだろうなぁ。

(とはいえ、全てひとりでやっていけるとは判断していなかったようで、サーキットに復帰してすぐに一緒に仕事ができる人を探し始めたようです。その条件が”長い間一緒にやっていける人物”だったというから、現コーチのグミィさんとの最初のコーチ契約がローマからローランギャロスまでの短期だったのは、最初から短期契約を考えていたわけではなく、あくまでも試行期間だったのでしょう。)

パソスさんからの独立の成果を問うにはまだ早いかもしれないけれど、責任が増えたと同時に自由度も上がったことで、少なくともメンタル面では良い影響が出ているのではないかな。今シーズンは試合数が少なかったとはいえ、以前のようなツアー中の”勤続疲労”は無かったようだし、自分の状態に関するコメントが正直になったような気がします。まぁ、以前も表情が正直だったから言葉で認めなくても顔で語ってましたけどね! それにお父さんからは独立しても、お兄さんに世話されているような一面もありましたけど・・・。(←これは、また別項で!)

さて、”長男”を独り立ちさせたパソスさんは、現在カンボリューのアカデミーでブルーノ・ローザ君ら24選手を集めてのプレシーズン・トレーニング中。24人のうち12人は、パソスさんが手がけてきたチャリティ・プロジェクトから育ってきた選手というから、指導するパソスさんも誇らしいでしょうね。

そんな”コート上の子供たち”の指導もさることながら、昨年8月に生まれた愛娘のベッティナちゃんの成長を見守ることがパソスさんの大きな喜びになっていることでしょう。そして、これは私の想像だけど、ベッティナちゃんの存在もグガの決断の理由のひとつだったのではないかなぁ。

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